これからの社会(1)~会社から個人へ、日本社会最小単位の変化

 中国語で「会社」のことを「公司」というが、昔の社会主義時代では「公司」でなく、「単位(ダンウェイ)」と呼んでいた。今でも習慣的に「単位」と呼ぶ人が多いし、労働法などの法律でも「用人単位(雇用主)」が正式名称となっている。

 「単位」とはユニットのことで、社会主義の国営時代では社会の最小単位は「個人」でなく、国有や集団所有制の「会社」だったので、その意味で「単位」という称呼が定着していたのだろう。中国人民の成年者は誰もがどこかの「単位」に所属しており、雇用の「強制的」保障も食糧の配給も住宅の支給もすべて「単位」によって行われていた。

 日本の終身雇用制度下の「会社」は実は、中国の「単位」に酷似しており、個人が一生それに付着するだけにある意味で社会の最小単位までいかなくとも、「準最小単位」たる存在になっていた。「ウチの会社」という名称からもその異常な一体感がにじみ出る。しかし、昨今戦後に定着してきた終身雇用制度が崩壊しようとしている。これに伴い、単位(ユニット)の分化も見られるようになるだろう。

 つまり、企業組織が今まで日本社会の基本構成単位(ユニット)であり、あるいは最小単位か準最小単位として位置付けられてきたが、それが分化し、個人が社会の最小単位になっていく。言い換えれば、「会社員」が消え、「社会員」(真の意味での「社会人」)になる。従来常識だった会社員としての出世がなくなり、社会員としての生き残りがキーになっていく。

 社会員は流動的かつフラットな結合(流動的ユニット=「新ユニット」と呼ぼう)を事業プラットフォームとし、仕事を請け負う。従来の会社が構造変更により、新ユニットを再構成する。新ユニットは従来の会社と違い、組織自体の営利性や肥大化を目的としなくなるかもしれない。あくまでも、個人の事業プラットフォームとして位置付けられる。労働法に基づく労使の雇用関係が徐々に薄れ、民法に基づく請負等の商取引関係が濃厚になる。

 そこで新ユニットはその生産性や産出付加価値、あるいは代替性の度合いによって強弱関係が決まる。つまり、生産性や産出付加価値が高く、代替性の低い新ユニットが強者になり、反対の新ユニットは弱者になる。社会最小単位の個人はその個人の強弱関係によって適合する新ユニットを選んだり、またはそれに選ばれたりする。その相対関係は恒常的でなく、流動的に変化する。異なる新ユニットの間を行き来することも日常的になる。

 個人と新ユニット、新ユニットと新ユニットのかかわりを包括的に管理するのは、ブロックチェーンである。これからの社会はこんな感じになっていくだろう。

<次回>

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