これからの社会(2)~家族回帰へ、終身雇用崩壊後の日本社会像

<前回>

 日本社会の基本構成単位(ユニット)の変化。終身雇用制度の崩壊とともに、会社組織から個人へと社会の基本構成単位が変わっていく。その裏にどのようなメカニズムが隠されているのだろうか。

 ドイツの社会学者テンニエスは社会集団を、「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の2種類に分けて考察する。「ゲマインシャフト(Gemeinschaft)」とは、血縁や地縁などにより自然発生した社会集団をいい、「ゲゼルシャフト(Gesellschaft)」とは、利益を図るうえで、共通の目的のために成員の自由意思に基づいて形成された社会集団(会社など)を指す。

 テンニエスによれば、社会というのは人間意志によって成立する。その人間意志は、目的と手段によって、「本質意志」と「選択意志」に分けられる。

 「本質意志」とは、行為者の本質の無意識的な表現であり、行為自体の目的化を意味する。「ゲマインシャフト」は血縁や地縁などを元に自然発生した共同体であり、その共同体の存続自体が目的化しているが故に、「本質意志」の部類に入る。「本能的な結合」といってもよかろう。

 これに対して、「選択意志」とは、図利など一定目的の達成のために合理的な手段によって意識的に行われる選択を意味し、考量や打算、意識性などとして個人に現れ、社会的には立法や協約(契約)、世論、慣習などとして実現される。「ゲゼルシャフト」がこれに該当する。

 ゲゼルシャフトが利害関係に基づき、人工的に形成されたものであり、そのなかの人々(成員)は互いに利害の打算に基づいて合理的に行為し、「give and take」の取引が粛々と行われている。人々は表面的に礼儀正しくても、親密に付き合っても、互いに常に一種の緊張状態に置かれ、「表面的な結合」にもかかわらず、本質的には分離している。

 テンニエスは、ゲマインシャフトの時代にゲゼルシャフトの時代が続くとして、現代をゲゼルシャフトの優位を占める時代と考えた。この学説は日本社会にも当てはまり、戦後の日本はまさにゲゼルシャフト優位の時代であり、その中心的な存在はいうまでもなく、「会社」という共同体なのである。しかし、日本は非常にユニークな特徴を見せている。

 テンニエスは、現代社会におけるゲゼルシャフトの優位性を認めながらも、あくまでもそれが選択意志である限り、表面の優位性に過ぎず、ゲマインシャフトが人間の本質意志に基づくだけに、なお社会の本質的な基礎をなしているのだと考えた。これに照らしてみると、戦後の日本はやや異なる(いびつな)形態になっていたように思える。このくだりに至れば、決まり文句のように、「日本社会は近代化とともに家族制度が崩壊し、個人主義的風潮が強まり、核家族化が進んだ」といった具合に展開される。しかし、果たしてそうなのか。

 日本人のいわゆる「個人主義」といっても、欧米型の自立・自律・自己責任の個人主義(「三自個人主義」と呼ぼう)ではなく、個人主義とは似て非なる利己主義に過ぎない。個人主義の元祖とされる欧米社会に目を向けると、決して日本のような家族制度の崩壊があったわけではない。むしろ個人の「三自個人主義」をベースに、べったり形ではない(ドライな)家族関係が成り立っているように見える。これに対して、戦後の日本社会は家族制度が崩壊したものの、本当の「三自個人主義」が確立できないまま、会社を中心とするゲゼルシャフトの時代に突入した。

 一方、日本人の「村社会」たるゲマインシャフトの社会集団性が消えたわけではない。戦後の高度経済成長と都市化と共に、戦前の村社会に見られた血縁と地縁の空間的一致性が崩れたものの、日本人のなかに植え付けられた「村社会」のDNAがついに、都市部で蘇生を求め始める。その受け皿となるのは新たにできた「会社」、つまり都市部に生まれ変わった「仮想村」あるいは「疑似村」で、ゲマインシャフトが持ち込まれたゲゼルシャフトという「合体畸形児」である。

 欧米のゲゼルシャフトは、純粋に利益を求める「利」の集団であるが、日本の場合は、「情」と「利」がごちゃまぜになっている。モノを作れば売れる時代では、共同体成員の一致団結を必要とし、「情」と「利」のベクトルが見事に一致していた。ゲマインシャフト的なゲゼルシャフトは時代の要請に応え、戦後の高度経済成長に構造的な支えを提供した。しかし、時代が大きく変わった。会社組織というゲゼルシャフトはこれ以上、ゲマインシャフトの共存を容認する余地がなくなった。

 ゲマインシャフトが排除された後のゲゼルシャフトは、より欧米のそれに近い存在にならざるを得ないだろう。一方、ゲマインシャフトは新たな行き先を求め、それがどこに向かうか。これを契機に、完全に日本の伝統的な家族制度の復活まで行かなくとも、日本人の家族観の再建になってほしい。何らかの形で本来あるべき姿であるゲマインシャフトへの回帰が実現できれば、望外の喜びではないだろうか。私はそう強く期待している。

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