ニーチェ『善悪の彼岸』雑感(1)~他人の評価を気にしない生き方

 「高貴な種類の人間たちは、自分こそが価値を決定する人間だと感じている。こうした人々は他人から是認されることを必要としない。『わたしに有害なものは、そもそも有害なものである』と判断する。こうした人々は、自分こそが、事物に栄誉を与えるものであることを知っている。価値を作りだす人々なのである」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 時代錯誤よりも、そもそも「高貴な種類の人間」というだけで「差別」と指弾される今の日本社会。日本人は常に他人の目線を気にしながら生きている。他人から是認され、また他人に是認を要請し、この是認の相互要求はすべて「空気を読む」という手段によって行われている。自分が価値を決定するどころか、自分の価値すら他人の評定に委ねている。ニーチェの世界ではやはり、「精神の奴隷」の類に分類されるだろう。

 価値を決定する主体性と能動性は尊いものである。価値を決定することは決して、善悪を仕分けることではない。悪を卑下する必要はまったくない。「悪」という定性よりも、「価値」という定量に指向する。無価値のものや有害と判断されたものとは棲み分けすればよく、価値を付与することによって「事物に栄誉を与える」。

 他人からの是認は、他人の価値の表出であり、それを求める必要はない。他人の是認の有無は、たまたまその他人との価値の一致性が問われた結果に過ぎない。それに一喜一憂する必要はない。

 多様化が唱えられる時代だけに、本当の多様化とは何か、その正確な定義を問われることすらない。正や誤、善や悪という二元論が相変わらず横行している世の中ではないか。多様化というのは、人それぞれの価値が微妙にずれていることを示唆するものにほかならない。グラデーションの世界を白黒二色の世界に強制的に塗り替えることは、いかに愚かであろう。

 と、私自身も他人の評価を気にしない人間を目指している途上である。

<次回>

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