ニーチェ『善悪の彼岸』雑感(3)~善人と愚人、騙される方が悪い!

<前回>

 「……奴隷的な思考方法においては、善人は危険のない人でなければならないからである。善人は温厚で、だまされやすく、おそらくどこか愚かであり、善良な人である。奴隷の道徳が優位を占めるところではどこでも、言語は「善」(グート)という語を「愚か」(ドゥム)という語に近づけようとする傾向があるのだ」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 日本人には、耳の痛い話だ。日本人は世界でも比類なき温厚で、だまされやすい人種であろう。どこか愚かであり、善良な人が多い。騙すと騙される方、どっちが悪いといったら、それは騙す方が悪いに決まっている。「騙される方も悪い」といったら、怒り出す日本人もいる。あえて、私がいう「騙される方が悪い」。なぜ?理由を言おう――。

 騙される日本人が1人増えれば増えるほど、「日本人は騙せる」という定評が一層強固なものになる。すると、人を騙すなら、まず日本人を騙したほうが成功率が高いわけだから、次から次へと日本人が騙される結果になる。このとおり、騙されることは同胞に迷惑なのである。だから、騙される方が悪い。

 日本は農耕民族で国土も狭い。村社会由来の人間関係には、騙しは絶対的禁物である。人を騙したらそれは村八分にされ、悪評が一生付きまとう。ほぼ再起不能になることは間違いない。故に、騙す行為から得られる利益と制裁によって失われる利益を天秤にかけると、通常は人騙ししないのだ。善人の世界だ。

 しかし、世界に出てみると、悪人だらけではないか。そこで善人が一気に愚人と化する。愚だから騙されるのだ。日本人以外の人も騙されるが、騙されたところで穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなる。とても人前では言えない。自分の愚を公にさらけ出したくないからだ。堂々と騙す方を批判し、正義論を振り回すのは世の中日本人くらいだ。

 「偉大で、多様で、包括的な生が、古い道徳を超えて生き延びるような危険で不気味なときが訪れたのである。このときに直面した『個人』は、みずから法を定めることが求められる。自己を維持し、自らを高め、自らを救済するために、独自の技巧と狡智を働かせることが求められるのである」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 不確実性に満ちている世界である。サバイバルしていくうえで、求められることは、「ルールの制定」「自己強化」「自己救済」である。そして何よりも、「独自の技巧と狡智を働かせる」ことは世の常識であり、サバイバルの鉄則でもある。

<終わり>

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