私はこうして会社を辞めました(10)―運命の女神が微笑む

<前回>
(敬称略)

 ロイター通信社から、面接の通知が来たのは、履歴書投函二週間後。北京から人事担当マネージャーが面接官として東京にやってくるので、準備してほしいという連絡。書類審査の第一関門突破、私は歓声を上げた。

 面接日の朝、私がドキドキしながら神谷町にあるロイター・ジャパン本社へ向かった。面接を受ける候補者は、全部で十名程度、中から1名~2名を選抜する。面接官は、ロイター中国北京本部の人事総務管理本部長ピーターソン・チャン(仮名・シンガポール人)とロイター・ジャパンの営業部長の田辺良太郎(仮名)。二人ともニコニコしてとても人当たりが良さそうだったので、とりあえず安心。

 「マーケティングとは、何ですか?」、ピーターソンは冒頭一番中国語で。
 「はっ?え~と、市場調査?」、私の調子がいきなり狂った。
 「ロイターは、どういう会社だと思いますか?」、ピーターソン。
 「通信社です」、何でそんな当たり前の質問をするのだろうかと不思議する私。
 「あなた、もし、仕事の場で一人ぼっちになって周り誰も助けてくれない、そういうときにどうしますか?」、ピーターソンは、少し不機嫌な表情を浮かべる。
 「サバイバルです、どんな状況か分かりませんが、生き延びる力を持っていれば、必ず道を切り開くことができます!」、私には勇気が湧いてきた。というよりも、何が何でも海外へ行きたかったという信念が強かった。その実感が湧いたのだ。
 「なかなか、ガッツはありますね」、ピーターソンの顔に笑顔が戻った。
   ・・・
 一時間弱の面接は終わった。後半は根掘り葉掘りと色々な具体的な話で突っ込まれたので、良い感じだった。

 「立花さん、おめでとうございます。内定が出ました。二次面接に来てください」、二週間後、電話口に田辺の声が響いた。今度、私一人でのガッツポーズだった。

 二次面接は、相変わらずピーターソンと田辺。今回は、接客室ではなくオフィス内のスタッフミーティングルームに通された。挨拶を終えると、分厚い雇用契約書を目の前に突き出された。早速、サインしようとすると、止められた。「これ、よく読んでからサインしてください。後日でも良いですよ。内定は決まっていますから、心配は要りません」。私の焦る気持ちをすべて読み取られて、恥ずかしかった。

 雇用条件の説明が始まった。ロイター・ジャパンの出向者、駐在員として中国へ赴任する。一回目の雇用期間は三年間、三年後パフォーマンス次第で継続か帰国かを決める。社会保険などは本国日本でロイター・ジャパンが納付するが、現地での医療保険は、ロイター通信社ロンドン本社駐在員用のグローバル医療保険が適用する。中国現地での住宅、個人所得税はすべて会社負担。年1回の健康診断は東京で行う。年30日間の有給休暇、二回海外休暇航空券(家族全員が対象)と宿泊代付、そして、肝心な年俸は1000万円を超える・・・

 信じられない好条件だった。年収倍増以上の好条件、しかも、海外!

 運命の女神がついに私に微笑んだ。その日の夜、何年ぶりかの六本木で祝杯を挙げた。
 
<次回>