私はこうして会社を辞めました(13)―パリとローマの思い出

<前回>
(敬称略)

 上海赴任に先立って香港に立ち寄ったのは、香港の銀行で口座を開くためだった。私と池山がもらう海外給の一部が香港で振り込まれる仕組みになっていた。

 当時、妻が銀座の弁理士事務所で仕事をしていた。私と一緒に赴任するために、会社を辞めざるを得なかった。私が急に繰り上げ赴任になったが、彼女は仕事の引継ぎが完了しておらず、結局私より一か月遅れの上海現地合流となった。

 本赴任まで一週間の仕度休暇を与えられ、私が先に香港入りした後、パリへ飛び立った。一人でゆっくりとルーヴル美術館の見学がしたかったこともあって、また、中国駐在で生活環境がガラッと変わるし、色々な意味で、中国とまったく違う空気を吸い込んでおきたかったのだ。

 シャルル・ド・ゴール空港に降り立つと、そこは違う空気が流れていた。パリにいる毎日は、絶えず空気中に混じっている香水の匂いに刺激されていた。その匂いにつられて、ルーヴル美術館よりも先に私が香水専門店を訪れた。

 香水といっても何も女性の特権ではない。私も大学時代からオーデコロンや香水を日常的に使っていた。気分をリフレッシュさせるためのツールだった。さすがパリ、香水専門店といってもまるで香水百貨店のように、豊富な種類が展示されていた。店員が「うちの本店は、南仏のグラースという小さな田舎町にある。風光明媚のこの街は、世界に知られる香水の総本山なのだ。そこへ行けば、本物の香水の世界がある」と、丁寧に英語で説明してくれた。その店員の言葉につられて、私が二年後ヨーロッパを再訪したとき、あの香水の街、南仏のグラースにまで足を伸ばしたのだった。

2181494年6月、パリのセーヌ川からエッフェル塔を望む

 パリでルーヴル美術館を一日かけてゆっくりと楽しんだ後、夜行列車でイタリアに向かった。私が行きたいところは、何といってもあの「ローマの休日」ゆかりの地だった。

 ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、アン王女は、欧州親善旅行中に縛り付けられた強行軍日程に嫌気を指し、宿舎を脱出する。そこで偶然に出会ったのは、アメリカ人の新聞記者ジョー・ブラドリー。支局長から「アン王女は急病で、記者会見は中止」と聞いたジョーは、アン王女の正体を知るが、王女にはそれを明かさず、ローマの街を連れ歩いて、その行動を大スクープにする計画だった。

21814_394年6月、ローマのスペイン広場で

 アンはローマの街を自由に散策し、かわいいサンダルを買ったり、ヘアサロンに飛び込んで長い髪をカットしたりと、ごくふつうの女の子のように楽しい時間を満喫する。そして、スペイン広場でジェラートを食べていると、ジョーと「偶然の再会」を果たす。王女はオープンカフェで初めてのタバコを試し、二人乗りしたスクーターで街中を疾走。真実の口や、祈りの壁など名所の数々も訪れた。

 夜は、船上パーティーに参加するが、その会場にはついにアン王女を捜しにきた情報部員たちが現れる・・・つかの間の自由と興奮を味わううちに、いつの間にかアンとジョーの間には強い恋心が生まれていた。しかし、アンは祖国と王室のために宮殿へ戻り、ジョーは彼女との思い出を決して記事にはしないと決意する。翌日、宮殿ではアン王女の記者会見が開かれる。ジョーは撮影した写真がすべて入った封筒を、王女にそっと渡しては見つめ合うアンとジョー。「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」笑顔とともに振り向いたアン王女の瞳には、かすかに涙の跡が光っていた。

 自由と愛、人間が持つ永遠のテーマ。幸福を求め、そして、幸福を与え合う。ローマの街に流れる空気には、決してパリのような香水の匂いが混じっていない。スクーター、馬車、石畳の路地、ジェラート売りの子供・・・一つ一つさりげないパズルだが、それを組み合わせてみると、自分だけの絵が出来上がる。

 人生は、数え切れないパズルを与えられ、自分なりに一つ一つ組み合わせていくものだ。「ローマの休日」もそのパズルの絵の一つだった。

 私は、パリとローマの思い出を大切に胸にしまい、香港行きの航空機に乗り込む。

<次回>