経団連の中西宏明会長は10月5日、オンラインの記者会見で、米トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したことについて、「正直にいって、ちょっと不注意ではないか。ある意味、典型的な自業自得だ」との見解を示した。かくも重責を背負い日本を代表する経営者としては品位に欠け、あり得ない軽率な発言と言わざるを得ない。
とはいえ、決して品位という次元で掘り下げて批判するつもりもなければ、中西氏個人の政治的立場やイデオロギー、政治家に対する好嫌傾向を論じる立場にもない。むしろ、経営・ビジネスの観点から、米中新冷戦という「ニューノーマル」に直面し、日本人経営者・ビジネスパーソンはどのような目線をもつべきかという命題をめぐって、少し展開してみたい。
● 苦労して作り上げた中国との関係を切っていいのか?
米国が主導する対中デカップリング(分断・棲み分け)に日本は果たしてどんな姿勢を示せばいいのか。日本国内でも見解が分かれている。
まず、中国とは隣国として可能な限り仲よくしようという意見がある。歴史的に日中間のビジネスパートナーシップを築き上げるには長い年月がかかったことから、大切にしようという主張は、埋没コストの概念に基づいている。過去の事業に投下した資金・労力はドブに捨てるべきではない。あるいは固定資産の減価償却という考え方が中西氏のなかにあったかもしれない。
しかし、そこから「中国と可能な限り仲よくしよう」という結論をたやすく導き出せるのか。目的と手段の倒錯があってはならない。そもそも、中国と仲良くすることが目的なのか、手段なのか。仲良くすれば、必ず日本の長期的利益につながるのか。日本の長期的利益のために、仲良くするのが適正かつ唯一の手段なのか。このように複眼的に検証する必要があるのではないだろうか。
● 米中のどちらを選ぶべきか?その選び方とは?
次に、対米関係。仮説として、米中のどちら側につくかを選ばなければならないとき、その選択の基準とは何か、どのように選択するのか。
高いか安いか、という「量」の判断基準が先行する世の中である。「安くて良い」製品を求めて何が悪いのか。経済的利益への追求は、資本主義の永久不変の法則。ただ1つの問いが常に付きまとう――「安いものはなぜ安いのか」。中国からの調達が安い。多くの国の多くの企業が中国に投資して基地を作ったり貿易をしたり調達を行う。
こうして長年の取引を積み上げた結果、産業集積やサプライチェーン(供給網)ができた。これらは「長い年月かけて築き上げたビジネス基盤」に当たる。今さら、代替サプライチェーンの構築は困難だ。なぜならせっかく作り上げたものを捨てて別途立ち上げるには、余分なコストがかかるからだ。資本主義制度下の経済原理や法則に照らして合理性に欠ける。コスト削減、経済的利益の最大化のためにも中国にとどまった方がよい。それはその通りだが、「安いものはなぜ安いのか」という問いに答えていない。この問いに目を向けてみよう。
第1に、知財権の侵害問題。研究開発には莫大な投資が必要だ。他人の知財を盗んでそのまま使えば、大きな投資コストが削減できる。すると、売値も安くなり、競争力が強くなる。場合によっては世界市場の制覇にまで至る。単純な経済原理や法則で安い商品を買って何が悪いかといったらそこまでだが、ルール違反や犯罪の手助けになっていいのだろうか。
第2に、国家補助・不正競争の問題。ブラックな知財権問題を抱える安売りだけではない。世界市場を手中にするため、国家がさらに金(補助)を出して特定の企業を支援する。資本主義の市場メカニズムなら原価割れの廉売はできない。企業が潰れるから。しかし、国家が裏にあってバックアップすれば、そんな心配はない。不当な廉価設定はいくらでもできる。安いものが売れるわけだから、市場の独占も可能になる。一旦市場を独占すれば、やりたい放題だ。これは到底公正な市場競争とはいえない。資本主義の原理に逆らうものである。
第3に、民主主義毀損の問題。市場独占は商業目的ならまだしも、政治的に悪用すれば、恐ろしい結果になる。SNSや電子取引分野におけるパフォーマンスの拡張は、地球上のいかなる地域にも浸透し、個人情報を意のままに入手する。ビッグデータを悪用して国境を超えて個人の思想信条を監視・統制し、プロパガンダを繰り広げ、洗脳を行い、諸外国の選挙までコントロールする。ここまでくれば、独裁帝国による地球制覇も視野に入り、地球規模の民主主義崩壊につながりかねない。絶対に容認してはならない話だ。
第4に、労働搾取・人権侵害の問題。最近徐々に露呈し始めたウイグル人の強制労働に外国企業も関与しているという深刻な話。18世紀は、イギリスで産業革命が発展し、綿織物工業が成長した時期だ。この綿織物は、世界市場で飛ぶように売れ、大きな利益が上がり、原料となる綿花の需要が高まった。当時のアメリカ南部は、この綿花生産の一大地域で、プランテーションで400万人の黒人奴隷が労働力として酷使されていた。つまり、綿花経済と産業の発展、そこから生まれた莫大な利益という経済性を支えていたのは、非道な人権侵害だった。アメリカの南北戦争が終わって、奴隷制度が悪として否定され、批判され、廃止された。その後一時的に綿花産業の停滞(生産性、経済性の低下)があったものの、ついに機械化によって産業の再生となった。
● 「安くて良い製品」をいただけない理由
私はこうして中国の問題を提起し、「クリーン・サプライチェーン」の必要性を説いた。しかし、私の主張はフェイスブックで反論を受けた――。
「指摘されたこと(中国の問題点)、1割は当たっているかもしれませんが、味噌もクソもごっちゃ混ぜにされ、イデオロギー戦争にしない方が良いのではないでしょうか。個々の事例のブレイクダウンを積み上げて検証し、その合計値が中国の輸出金額に占める割合が分かって証明できれば話は別ですが。これらの問題はどの程度発生しているか、どのように証明できるのでしょうか?」
反論者のポイントは、「量」である。量的に容認範囲があって、1割程度なら無視して9割の正常かつ清浄な取引に着目すべきだという論旨だ。いってみえば、「9割の確率で清潔純正な味噌が当たるなら、1割のクソ(ハズレ)はやむを得ない」、つまり1割の被害者を切り捨てるということである。この反論者がもし、自分自身が1割のハズレ組に置かれたら、それでもそのロシアンルーレットのルールに賛同するのだろうか。
いや、ロシアンルーレットでさえちゃんとしたルールがあるのだが、中国の場合、賭博ルールすら破壊されているのだ。要するに、9割の当たり組のなかに一部の権益層が事前に決まっている。「お前たちは、9割の当たり組に入っているのだから、1割のハズレ組のことを無視しろ」ということだ。
私の中国留学ビジネススクール時代、「中国経済」科目の担当教授で、現代中国の代表的な経済学者である呉敬璉氏はこう語る。「中国の証券市場はまるで1つの大きな賭博場のようだ。しかも規範化されていない。賭博場でさえルールがある。たとえば、他人のカードを盗み見てはいけない。だが、中国の証券市場は、一部の人たちは他人のカードを見ることができるし、カンニングも詐欺もできる……」
株式市場は単なる氷山の一角にすぎない。「ルールないのがルール」という運任せだったら、それも公平のうちだが、中国との取引は、ルールメイカーも審判も選手も一体化した試合である。中国は自由民主主義、資本主義下の公平競争ルールをフェードアウトさせ、知らず知らずに不正な独自ルールをフェードインさせようとしていたのである。その本質をトランプが見抜いた。ルールを元通りに戻せと中国に求め、中国がそれを拒否したところで、中国との取引中止、棲み分けを決めたのである。
だが、誰もがトランプではない。9割の当たり組に入ってさえいればいいという人もいる。そうした意味で中国利権を確保したエスタブリッシュメント層の一部が、トランプを嫌った。我が世の春をぶち壊すなと。中国共産党政権が狙った通りに、彼たちが行動した。
● 中国ビジネスのために、中国と棲み分けする
ここまで言ったら、トランプがまるで正義の神のように見えてしまう。はたしてそうなのか。いやいや、それはちょっと違う。トランプは商売人だから、利益を考えるだろう。ただ彼が考えているのは、目先でなく、長期利益である。中国との取引ルールを元通りに戻すことだ。自由主義諸国の本来のルールに戻るまでは、中国との取引を一旦中止するという経過措置を、トランプが取ろうとしたのである。
中国は大きな市場である。放棄すべきではない。ただ目先の利益だけを追求すると、本質を見失う。持続可能な、長期的恒久的な利益の獲得を担保するルールが毀損し、崩壊すれば、利益総量レベルでは大きな損失となる。
トランプは商売人だ。彼が目指しているのは神聖なる正義よりも、単なる「未来志向の商売」にすぎない。中国市場や中国ビジネスでもっともっと大きな利益を生み出すために、今は一時的に取引中止をし、ルール問題を先に解決しようということだ。ルールを制する者がゲーム(市場)を制す。
この法則を理解すれば、「9割味噌1割クソ」における「量」と「質」の関係もはっきりするだろう。中国が狙っているのは、味噌クソ割合の多寡よりも、味噌クソの抱き合わせ取引という中国ルールの設置である。目先の利益という「量」に目を奪われ、「質」の変化を見落としたり、見ようとしなかったりするのが資本主義下の利益近視眼症候群である。中国は資本主義の「量的」弱みを利用し、「質的」変化を狙っている。無論、最終的な目標は、「ルールを制する(質)者がゲーム(量)を制す」という法則の適用にほかならない。
最後に、中西氏の「自業自得論」について補足させてもらいたい。実はそのオリジナルは、中西氏ではない。中国共産党機関紙人民日報傘下の環球時報の胡錫進編集長は早くも10月2日、ツイッターに評論を投稿し、「トランプ氏は新型コロナを軽視してきた。その代償を支払うことになった」と痛烈に批判した。まさに「自業自得論」の元祖版であった。
放火犯が被害者の防火措置の不備を批判し、世間の注意を逸らす。いささか「中国流」的な手法であって、性善説の日本人はたびたび気付かずに口車に乗せられてしまう。注意が必要だ。