私はこうして会社を辞めました(15)―駐在員豪邸の秘話

<前回>

 上海赴任して一か月経過、私は住宅を与えられた。ロイター通信上海特派員の英国人の引越しで、元の住宅が空き、私が入居することになった。

 早速下見に行く。虹橋地区の仙霞路と水城路角にある一戸建ての別墅(ビラ)だった。広大な敷地、青々とした芝生、燦燦たる陽光に微笑む花々、そして、私が案内されたのは、広々とした庭付きの三階建て豪華ハウスだった。ここが私の住宅だ。

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 中に入ってみると、チャイナチック・レトロ風の家具と家電製品一式がすでに完備されていた。リビングと食堂だけでも、150平米を超え、三階建てで総面積400平米以上あるという、私にとっての「館」なのだ。東京時代、私と妻が住んでいたマンションはせいぜい40平米だったが、ざっと十倍以上の広さ、しかも庭付きの豪邸、私にとって夢のまた夢だ。

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 私が庭に出る。芝生の草をむしって鼻に持っていくと、草の青臭さがふわんーと漂ってくる。夢ではない。すべて真実なのだ。社宅とはいえ、私は完全に豪邸のオーナー気分だ。

 「お住まいの豪邸のオーナーになりませんか?」、豪邸入居後しばらく経つと、一本の電話がかかってきた。電話の向こうは、私の住む豪邸を管理する不動産会社のマネージャーだった。

 不動産会社のマネージャーが、豪邸の購入を私に勧めた。途端に私が笑い出した、「まず、私はそんなお金をもっていませんし、上海駐在はせいぜい三年から五年、永住するつもりもありません・・・」と断ると、マネージャーが真剣な口調に切り替えた。

 「立花さん、不動産は必ずしも住むためのものだけではありませんよ。資産形成のツールにもなりますよ。計算しましょうか・・・」、マナージャーの提案は以下のものだった。

 豪邸の賃貸料は当時月5000米ドル。それは、全額会社払い。
 豪邸の購入価格も94年当時安く、35万米ドル程度だった。頭金を引いて残金を5年ローンで 返済すると、毎月5000米ドルの支払い。
 私か妻の名義で豪邸を購入し、それを不動産管理会社に管理を委託する。
 不動産会社が私の勤務先であるロイターに社宅として貸し付ける。賃貸料は相変わらず毎月5000米ドル。
 ロイターから支払われる毎月の5000米ドルの賃貸料を、そのまま銀行ローンの返済に当てる。
 私は、自分名義の「社宅」に五年間住んで、その間、1元たりとも費用は発生しない。
 五年後、私が帰任する際、銀行ローンは完済。豪邸は完全に私の所有資産である。帰任後は、豪邸を別の会社・駐在員に貸せば、私は、税と管理費を引いて毎月4000米ドルほどの家賃収入を得られる。つまり、大家さんになることだ。
 しかも、中国の経済発展で不動産相場の急上昇が見込まれていた。五年後十年後、豪邸の価格が倍以上になっているかもしれない。その収益は、完全に私の儲けになる。

 これも、また夢のような儲け話だった。しかも、金銭的なリスクはほぼゼロ。法的にはどうか。会社の金を不法に占有・受領するわけではないし、就業規則を調べても駐在員は自己名義や親族名義の物件を社宅として使ってはならないという規則がない。

 しかし、よく考えると、私は、一従業員として、会社に対する忠誠義務を有している。会社に忠誠を尽すうえで、信義誠実の原則に則って、自分や親族が会社との取引で利益を得ることは、グレーゾーンに該当するのではないか。今風にいうと、J-SOX法など内部統制上の利益衝突の問題がある。法的問題を避けて道義上にも、そのようなことはやるべきではないと、私が判断した。

 私が不動産会社に断りの電話を入れたのは、一週間後だった。まっすぐ生きる人生は、何よりも気持ちが良い。

 90年代当時この方法で、上海で不動産物件を手に入れた日本人駐在員は、私は何人も知っている。いまでも、日本本社に勤務しながら、上海の物件で家賃収入を得続け、週末に上海に舞い戻り、悠々とゴルフ三昧を楽しむ人もいる。

 人間の生き方は、それぞれである。

<次回>