私はこうして会社を辞めました(46)―宴会芸が出世道か?

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(敬称略)

 東京。2000年1月5日、ロイター・ジャパン帰任後の初出勤。

 日本語だ!職場は日本語で充満している。6年間の駐在生活、職場は英語と中国語だけだった。ここ、ロイターとは言え、日本法人である以上日本語が公用語になっている。

 「ハロー、立花さん、元気?」、いきなり、英語の音声が響いた。通りかかる社長から声を掛けられた。

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 当時ロイター・ジャパンの社長は、元ロイター中国総代表・統括マネージャーのロジャー・バックレーだった。ロジャーは中国での実績が認められ、ロイター・ジャパンの社長に抜擢され、東京駐在となった。東京は、アジア金融センターであるだけに、ロイターのビジネス規模も中国をはるかに凌駕しており、ロイター・ジャパンの社長の地位もアジア統括社長に次ぐ重要な存在だった。

 社員総数500名以上もいる社内で、私のような課長クラスの小物が社長から直々に話を掛けられることはめったにない。中国勤務がなければ、決してそのようなこともありえないのだ。
 
 当時日本では、私の直属上司がNP部の古田偉大部長(仮名)、そして古田部長の上司は、営業本部長の田辺良太郎(仮名)、さらにその上司はロジャー・バックレーだった。

 田辺本部長は、私の入社面接に立ち会ってくれた人で、ロイターの前に80年代にも某日系大手商社のマネージャーとして長く北京に駐在した経験がある。中国語も堪能で、中国の厳しい事情もよく理解し、国際的な感覚を持つ人物だった。私の上海、香港駐在中にも日本側の窓口として面倒を見てくれ、とても親切で優しい紳士であった。

 私は、日本帰任に際して古田部長のNP部よりも、もっと国際色が豊かで、いわゆるロイターらしい部署に入りたかった。ただ、古田部長のメンツを考え明言は避けたものの、さり気なく田辺本部長に打診したことがある。すると、「立花さんの場合、あえてドメスティックな仕事に付いてもらうのは、オールマイティーになってほしいからです」と説明してくれた。

 確かにそれは一理あると思って納得したが、その「オールマイティー」の中身を確認し損ねたのは、私のミスだった。「顧客や市場、業務内容の多様性」なのか?それとも「社内人間関係の多様性」?

 飲み会は、NP部で最重要行事の一つだった。飲み会では、一人ずつ芸を披露することが義務付けられている。宴会が始まると、古田部長が上座に座って酒を飲みながら、部下の芸を一つ一つ鑑賞していく。そこで部長に「うける」か「すごい」と思われる宴会芸を披露できるかどうかが、決め手となる。

 ある日の午後、「立花さん、出し物の予行演習ですが、参加してください」と私がある若い同僚にいわれた。「えっ、いま仕事中ですよ」と言うと、「部の飲み会の出し物ですよ」と、その同僚が念を押しながら驚いた表情で切り返す。もっと、驚いたのはこっちだ。ワンマン社長の町工場や零細企業なら、私は喜んで従うが、ここは多国籍企業の一部署だ、古田部長の私物ではないのだ。勤務時間に会社が対価としてわれわれに給料を支払っている。その給料は、会社のコストなのだ。それを業務以外の目的に使ったら給料泥棒になる。

 「ごめんなさい、仕事中の予行演習はできません。部内飲み会の出し物にも、私は参加しません」、私はきっぱりと断る。

 その晩、飲み会で芸を披露しない社員は、私一人だけだった。

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