私はこうして会社を辞めました(47)―上司と先輩を崇拝せよ

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(敬称略)

23928個人崇拝といえば毛沢東、金日成とスターリンの御三家、彼たちはちゃんとした主義と思想と貫禄を持っているが・・・

 「上司と先輩を崇拝せよ!」、一瞬、私が自分の目を疑った。

 ある日の朝、NP部の先輩である風見十里(仮名)が神妙な面持ちですっと私に一枚の紙を握らせた。その紙を広げてみると、「NP部で働くための心得十か条」と題され、その冒頭の第一条は、「上司と先輩を崇拝せよ!」となっていた。

 「崇拝」?!

 宗教に疎い私にとって、めったに目に触れることのない言葉だ。人間なら「尊敬」、神様なら「崇拝」。人間崇拝といえば思い浮かぶ人物は、スターリン、毛沢東、北朝鮮の金氏一族くらいで、それに上司の古田と先輩の風見もリストに追加せねばならないのか?

 ロイター通信社といえばニュース。ニュースといえば文字。ロイターほど文字を慎重に扱う会社はほかに少ないだろう。「崇拝」という二文字の重みは分かって書いたのだろうか?キリスト教、ユダヤ教、イスラム教では、神が唯一絶対的である以上、人間を崇拝する行為が罪として禁止されているのだ(出エジプト記 20:4; ヨハネ第一 5:21)。

 人間なら「尊敬」だが、「尊敬」でも自発的で内心から生まれる敬意であって、強要することはできるまい。「おれを尊敬しろ」という人がいるとすれば、周りからどう思われるのだろうか?人間対人間の関係は、「尊重」でなければならない。そもそも、「崇拝」を他人に強要することは、他人に対する基本的な「尊重」を無視し、他人の主体性ないし人格を蹂躙(じゅうりん)する行為ではないかと、私は深刻に受け止めた。

 言い換えれば、この「崇拝」強要行為は、社内の職権などの権力差(パワー)を背景にし、働く環境を悪化し、雇用不安を与える行為であれば、歴然としたパワーハラスメント(Power harassment)になる。

23928_3こんな本もある

 「心得十か条」の第二条以下は、「宴会は、NP部の最重要行事の一つであり、積極的に参加しなければ、○○××の結果になることもある・・・」などと書き綴った。

 戦うしかない!

 私はその日徹夜した。「心得十か条」を英語に訳し、「「心得十か条」に対する会社の姿勢を問う」という質問書を和文と英文で書き上げ、会社の姿勢を問うと共に、会社がこのような行為を容認するものであれば、会社を辞職するとの旨も明記し、質問書兼退職届とした。

 そして、翌朝、私は、書類をロジャー・バックレー社長室と田辺本部長室に、それぞれ英語版と日本語版一式ずつ差し入れた。

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