私はこうして会社を辞めました(50)―封建王国のパワハラ疑惑

<前回>
(敬称略)

 後から聞いたが、「十か条の社長直訴事件」で大きな衝撃が社内に走った。

 事件があった数週間後のある日、私は風見に呼び出された、「立花さん、こんな状況ですので、転職を考えていませんか」と、唐突にも転職の斡旋を申し出た。そして数日後、風見の手配で、会社の近くにある綺麗なレストランで人材紹介会社担当者とのランチ会談が設定された。

 最近、日本国内の労働基準法関連の法律資料を調べると、パワーハラスメントと判断される可能性の高い事例を以下のように挙げられている。

 飲み会の参加強要も業務上の権限を超えた不当な権力行使に当たり、また、誘いを断った時に不利な扱いを受けた場合も同様である。解雇という労働者に不利益な処遇に際して、明示のほか暗示も対象とされ、つまり、転職・退職を促すような発言や斡旋行為もパワーハラスメントになる可能性が高い・・・などとあった。

 「心得十か条」の製作、手渡し、それから私への転職斡旋等一連の行為は、今日になって法に照らしてもかなり問題点が多い。さて、それらはすべて風見一人が自分の意思でやったのか、そこを検証することができない。たとえすべて風見一人の所為であっても、古田部長も管理責任を逃れることはできるまい。

 社会も組織も複雑である。様々な利害関係が錯綜交差しているからだ。一人のサラリーマンとして組織の中で生き延び、また家族に幸福な暮らしを提供するために、時には内心の葛藤に満ちた苦渋の選択を強いられる。加害者と被害者の二重身分を持ち合わせることも珍しくない。

 風見は、温厚な人で、決して社内いじめするような人ではないと私は思う。ロイターという会社の同じ職場にいなければ、別の機会で彼と出会えば、きっと良い友人になっていたと思う。組織は内部殺傷力を持つ側面を有している。組織の長はその組織を支配する権力をどのように使うかで、結果が違ってくる。権力の真っ向には義務と責任がある。権力のベクトルがある方向に向けられたとき、義務と責任側に生じる結果を組織の長が十分に予測、認識する必要があるだろう。

 私は風見を憎んでいない。なぜなら、もし、私が彼の立場にいたら、同じことをやっていた可能性が大いにあるからだ。風見もこのブログを見ていると思う。彼は古い傷に触れたくないようだ。彼のこの気持ちはよく理解できる。彼には彼の幸福の哲学もあるだろう。私が風見に送ったメールに、最後にこう締めくくった。

 「人は、それぞれの生き方がある。互いに否定し合うべきではありません。ある日、死と直面し、「この一生に、悔いが残ったか」と問いかけられる時は、いずれ来ます。われわれ40代入りした人間は、その回答を、日々から準備しないといけませんよね」

<次回>

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