売春婦がホテルにやってくる、中国の個人情報流出問題

 先日、出張で北京の某高級Xホテルに泊まると、売春斡旋の電話が何回もかかってきた。腹立った私がホテルのオペレーターに抗議すると、「先方が立花様の名前を言ってかけてきたので・・・」と答えが帰ってきた。ホテル宿泊者名簿の流出は、ホテル側が加担しているのではないかと疑いが濃厚だ。私はすぐに110番で警察を呼んだ。

 20分後、ホテルマネージャー同伴で、警察が私の部屋にやってきた。

 立花、「・・・○○××、(まず、警察の身分識別番号を控えてから、情況説明)」
 警察A、「売春は、現行犯逮捕ですから、そのまま電話でOKを出して、売春婦に来てもらえばよかったのに、われわれに通報すれば、その場で逮捕できたはずですよ」
 立花、「現行犯とは、金銭授受を伴う性行為のことですよね、女性が部屋にやって来ただけで逮捕できるんですか?冗談じゃない。私は、なんで、そこまで警察のおとり捜査に協力しなきゃならないんですか。まったく趣旨違いです。私が警察を呼んだのは、宿泊客個人情報漏えいの被害届を出すためです」
 警察A、「個人情報漏えい?」 (注:「プライバシー権」は、中国語で「隠私権」という)
 立花、「そう、その被害届を出したいので、お願いします」
 警察A、「あなたは、外国人ですから、いま、北京市公安局外事課の担当警察を呼びます。ちょっと待ってください」

 待っている間に、警察Aとの雑談が始まる。

 警察A、「このXホテルは、いままで、売春行為とかそんな記録はまったくありませんでした。基本的にクリーンですが・・・」
 立花、「昨日がクリーンだから、今日もクリーンという保証を、警察官のあなたがするもんですか?あまりそういうことをいうと、ホテルと地元の警察が結託しているんじゃないかと、疑われたりしませんか? そういう発言は、慎んだ方がいいですよ」
 警察A、「いやいや、そ、そんなことは、決してありません。あくまでも、このホテルに関して、過去に、われわれ警察がこのような通報を受けた記録がない、ということを言っているだけです」
 立花、「もっと、おかしいですね。通報を受けた記録がないというのは、実際に売春行為とか売春未遂行為がなかったことにはなりませんよね。当事者が通報しなかったり、売春行為があってもただ発覚されなかったり、摘発されなかったりする可能性は、否定できませんよね。だから、過去に関しても、このホテルがクリーンだという結論付けは、できませんよね」
 警察A、「その通りです」
 立花、「じゃ、いまのお話は?」
 警察A、「全面的に白紙撤回します」
 立花、「あなたは、なかなか優秀な警察官ですね。ただ、言葉遣い、今度気をつけてくださいね。警察だから、偉いわけじゃないんですよ。中国人民やわれわれ外国人の税金で給料をもらっているんですよね、公務員として、謙虚に粛々と職務を遂行してください」
 警察A、「はい、以降気をつけます」

 しばらくすると、北京市公安局外事課の警察Bがやってきた。鋭い目付きで私を睨み付ける。殺伐としたムードが漂う。私も真正面から目線を合わせた。火花パチパチする目線の交戦が続くこと15秒。とうとう、彼が目線そらした。

 立花、「すみませんが、警察識別番号を教えてください」
 警察Bが驚いた表情を隠せず(おそらく、初めて言われたのではないか)、胸の前の名札を見せてくれた。
 立花、「あのう、さきほど、警察Aさんにすでに情況を説明しましたが、もう一回説明しますね。・・・○○××」(私が主導権を握った)
 警察B、「情況は分かりましたが、われわれ警察に何をしてほしいですか?」
 立花、「やってほしいことは、山ほどありますが、難しいと思いますよ。簡単に言いますと、私がこのホテルに泊まって、いつの間にか、私の個人情報が売春組織に流出しています。その調査をしてほしいんです。個人情報漏えい、プライバシー権侵害の不法行為の法律責任を追及したい」
 警察B、「プライバシー権に関する中国の法律は分かりますか?民法上の不法行為として、あなたのその権利が侵害された場合、特定した相手に民法上の責任を追及する以外道がありません。」(警察Bは、さすが外事担当で、法律の知識も持っている)
 立花、「中国では、プライバシー権に関して専門の立法がない。まず、民事上の不法行為といっても、実損がなければ、損害賠償を求めることが難しいし、次、警察の民事不介入で、いわゆる加害者の相手を警察が捜査してくれないんですね。こうなると、実質的に、被害があっても泣き寝入りするしかない。こういう情況ですね。中国の人権擁護って、まだまだ、不十分ですね」
 警察B、「・・・?人権とは、大げさじゃありませんか?」
 立花、「プライバシー権が人格権の一種だとすれば、人格権は人権の一部を形成するものじゃありませんか?その立法が遅れているということは、人権を十分に重視しているといえますか?」
 警察B、「あなたは、弁護士かどうか知りませんが、ここで法律のことで論争する意味がありません。とにかく、民事には警察は介入できませんので・・・」(彼は私を振り切ろうとした)
 立花、「そうですか、警察は構ってくれないということですね。それにしても、ホテルの宿泊者情報がどうやって流出したんでしょうね」

 ずっと黙っていた警察Aが割り込む、「あなたは、もしや、このホテルをインターネットで予約したんじゃないですか?」
 立花、「そうですよ。インターネットで予約しました」
 警察A、「すると、インターネットに入力した個人情報が流出したことって考えられますよね」
 立花、「そういえば、そうですね、その可能性はありますね」
 警察A、「だから、必ずしも、ホテルの人間があなたの個人情報を外部に漏らしたとは言い切れませんよね」(なぜか、この警察Aは、いつも、ホテルを庇っているのだろう)
 立花、「なるほど、インターネット上の個人情報の流出ですね。それにしても、情報は黙って流出しませんよね。ハッカーとか誰かがサーバーに不正アクセスして、侵入してデータを盗んだわけですよね」
 警察A、「そういうことって最近増えているんじゃないですか?」
 立花、「それは、それは、大変なことです。中国屈指のポータルサイトの予約システムに、ハッカー侵入・・・あのう、これって、民事事件ですか?あれっ、刑事ですよね、立派な犯罪ですよね、犯人を捕まえてくださいよ。あっ、これですよ、お回りさんの仕事ですよね・・・」
 警察Bは、今度、警察Aを睨み付ける。・・・

 以前、中国の某有名な刑法専門家から、刑事現場の鉄則を教えられたことを思い出す――「刑事事件の民事化、民事事件の刑事化」。北京のホテルが、格好の実践の場になった。

 北京の都心に駐在する警察官は、おそらく中国の中でもトップレベルだろう。それにしても、この程度か。犯罪と戦って、市民の安全を守るには、体力だけではない。知力も必要だし、そして、何よりも奉仕する心が欠かせない。

 可能なら、是非、中国公安警察のポリスアカデミーに、コンサルを売り込みたい。

 ホテル宿泊個人情報流出問題を取り上げたところ、日経ビジネスOnlineである記事を見付けたので、以下抜粋引用のうえ、コメントさせてもらう。

 建国60周年祝賀ムードに水を差す「黒社会」、10月1日「国慶節」前夜の北京~路地裏からの報告<以下、日経ビジネスOnlineから抜粋引用>

 「黒社会のものだ」。携帯電話からドスの利いた声が飛び込んできた。
 「心底、恐ろしくなりました。私の名前、家族一人ひとりの名前と年齢、それに住所はおろか、車のナンバーまで知っているんです」。恐怖さめやらぬ面持ちでこう語るのは、北京のある日系企業の中国人管理職である。
 「5万元(約60万円)用意しろ。さもないと家族の身に何があっても知らないぞ」。そういって、電話は一方的に切れたという。
 その従業員は、慌てて最寄の公安局に行き、ことの顛末を伝え、保護を願い出たという。しかし係官の対応は、けんもほろろだった。
 「そんな話は掃いて捨てるほどある。いちいちかまっておれん」
 もちろん、携帯電話の着信履歴には電話番号が残っているのだが、中国の場合、商場(マーケット)に行けば、中古の携帯電話などいくらでも買える。番号など使い捨てだ。
 「その時は、そういうものかと思いましたが、個人情報がこれだけ漏れ出しているというのは、やはり怖いですよ」とこの従業員は語る。

 犯罪も、その撲滅も往々にして政治がらみになる。
 犯罪は、そのリスクの大きさゆえに、うまくいけばかなりの実入りが期待できるものだ。従って、それは政治とも絡んで利権化する。つまり、犯罪の撲滅は、巡り巡って政治権力闘争とも絡んでくる。
 冒頭の個人情報を使った恐喝は、当局内部の協力者なしでは成立しにくい。黒社会と政治権力、治安機構は表裏一体とも噂される。また、黒社会も様々なセクトに分かれている。
 重慶市の共産党書記で、前商務部長の薄熙来氏が、8月にやくざ団体の一斉摘発を行った。約1400人が逮捕され、市民のみならず全国から拍手喝采を受けたが、北京から落下傘人事で降りてきた彼が、そう簡単に市政府を掌握できるはずがない。これだけのことができたのは、協力者の存在があったからだと言われている。
 ・・・
 犯罪の根絶はどこの国でも困難だ。そして、中国の場合、犯罪や犯罪撲滅活動は、往々にして政治絡みになることを意識しておくべきだと思う。

 <以上、日経ビジネスOnlineから抜粋引用>

 いかがでしょうか。日経ビジネスの記事と私の北京Xホテルの実体験とは、どこか妙に一致していないか。「黒社会と政治権力、治安機構は表裏一体とも噂される」・・・噂は、ただの噂で終わってほしいものだが・・・

 私が北京Xホテル事件で指摘したとおり、個人情報流出は、かならず協力者が存在する。私が疑ったのは、まずホテル内部の関係者。そこで、警察を呼ぶ。警察が来たら、なぜか、慌てて「ホテルは、大丈夫だ」と庇おうとする。すると、疑念がさらに広がる。たかが売春斡旋だろうが、売春婦の手に入るお金は、「買春代金」のほんの2割か3割だろう。その残りの金の行方を追っていくと、売春組織と関連協力者の間で分配されるに違いない。利害関係のネットワークがかなり複雑になっている可能性もある。

 中国の一番怖いことは、ここ。仕組みを説明すると、まず、法律はある行為を禁止し、そして、禁止行為の存在を見てみぬ振りする――行政のこの「不作為」によって、「官」と「民」の利権の結託ができる。

 個人情報の流出は、かなり恐ろしい。ホテルの場合、宿泊客の身分証明書(パスポート)上の内容以外に、宿泊登録票に記入した住所、電話番号から、支払いのクレジットカード番号まで、ほぼ重要な個人情報がすべて網羅されている。消費者として決して軽視できない。

 中国の法律では、宿泊客の個人情報を登録させるよう、ホテルに義務付ける一方、その漏えい防止義務を明確に課していないし、罰則も定めていない。たとえ、ホテル経由で個人情報が流出しても、それを立証することは不可能だろうし、消費者は、著しく不利な立場に置かれ、大きなリスクに直面している。

 私が体験したXホテルの事件は、あくまでも氷山の一角だ。個人情報流出の恐怖は、現にいたるところに潜んでいる。警察は、頼れないし、日本大使館や領事館だって何もしてくれない。NHKの「海外安全情報」を見て、安全が保たれるのだろうか。そもそも、「海外安全情報」ではなく、「海外危険情報」だろう。