以其人之道、還治其人之身

<前編>

 昨日、ブログで書いた列への割り込み対抗戦術だが、私の知恵ではなく、中国古典の知恵だ。

 「以其人之道、還治其人之身」、という中国の古典がある。「其の人の道(思考や行動)を以て、返って其の人の身を治める」という意味だ。

 たとえば、列への割り込みは、甚だしいマナー違反だ。違反者も違反そのことをよく知っている。これは、違反者にも「善の心」があるからだ。しかし、目先の利益のために、ついに、「善の心(良知)」が「悪の本能」に殺され、違反行動に出る。違反者が違反行動に出るまで、自分の中で「善」と「悪」の戦いがちゃんとあったのだ。残念ながらも、「悪の本能」が勝ったのだ。

 「悪の本能」を抑圧するものは、二つある――「法律」と「道徳」。「法律」は、最低ラインの道徳でいわゆる「他律」だが、「道徳」は、「自律」になる。マナー違反は、あくまでも「道徳」レベルの問題で、「自律」に頼らないと解決できない。マナー違反行為を指摘、注意するのが、「他律」行為になる。日本にも、マナー違反行為がたくさんある。注意すると、大抵相手が引き下がって、改めることが多い(最近、注意すると、刺されることもあるようだが、それは別の種の問題になる)。それは、結果的に、「自律」機能の復活に過ぎない。けれど、中国の場合、大きな問題がある。それは、「メンツ」だ。違反行為という「悪」を指摘、注意しても、相手は必ず自分の「悪の行為」を正当化しようとする。つまり、「悪」を「善」に仕立て、ある種の「偽善ロジック」を作り上げる。すると、「本物善ロジック」と「偽善ロジック」の対戦になる。いわゆる水掛け論で、喧嘩が終わらなくなる。

 そこで、一番良い方法は、その人のもつ「善の心」を引き出すことで、しかも、その人の口から言い出してもらうことだ。一旦その違反者が自分の口から「善の心」を吐露したその瞬間に、自己の「悪の行為」が否定されることになる。どんな雄弁者が世に存在しても、相手の自己否定に勝てるものはあるまい。

 私は、この中国古典の知恵で、人事コンサル現場で数え切れない「悪」を制圧した。いや、私が制圧したのではなく、どんな「悪」でも中にきっと小さな「善」が存在する。その小さな「善」が大きな「悪」を制圧したのだ。これは、私の「性善説」である。

 人事コンサルタントの基本は、自分の力ではなく、現場従業員の「内なる力」を引き出すことである。その「内なる力」とは、ほかでなく、人間のもつ「善の心」である。

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