ビットコインは通貨になり得るか?エルサルバドル vs 中国

 私が仮想通貨に興味を持ち始めた背景には、2つの出来事があった。1つは中国政府がビットコインなど仮想通貨の全面禁止・徹底排除、違法化に乗り出したことで、もう1つはエルサルバドル政府がビットコインを法定通貨にしたことだ。

 まず、エルサルバドルは国内で米ドルが普通に流通しているのに、ビットコインを選ぶ理由は何だったのか。銀行口座をもたない海外出稼ぎ者の仕送り送金がもっとも大きな理由といえる。その送金によって国の経済が成り立っているわかだから。

 そういえば、マレーシアで働いているフィリピン人メイド(家政婦)たちも、私的ルートで本国へ仕送り送金している人が多い。銀行口座があっても、煩雑な手続や高い手数料を嫌って彼女たちはむしろ互助会的なルートを愛用している。

 一方では、ビットコインはボラティリティが高く通貨に相応しくないという人もいる。特に一応安定した日本円で暮らしている日本人は抵抗を感じるだろう。しかし、国民が好んでそれを使うならば、通貨になり得る。エルサルバドルでは米ドルとビットコインの並行流通であるから、使用は任意だ。人気がなければ、淘汰されていく。市場メカニズムに委ねて検証するのも悪くないアイデアだ。

 次に、中国をみてみよう。中国は正反対で、ビットコインなど仮想通貨を全面禁止した。しかし、面白いことに、デジタル人民元だけは排除しない。それどころか、開発や導入に非常に熱心だ。矛盾しないか。同じカテゴリーの仮想通貨にはなぜ二重基準が取られたのか。

 実は少しも矛盾しない。中国は通貨の自由な流動を容認できず、すべて政府制御下におかなければならないからだ。そうした意味でビットコインとデジタル人民元はまったく別物。何よりも、デジタル人民元が実現できれば、支配者による統制がより一層精確なものになり、都合がよい。

 そもそも、ブロックチェーンという技術は、使い方次第で結果が違ってくる。私は幸い中国に住んでいないので、勉強も兼ねて仮想通貨を買ってみようかと検討中だ。

 最後の補足になるが、仮想通貨の仕組みを一言で表現するならば、「金融民主主義」というところではないかと私は思う。中央銀行が鎮座し、通貨政策を動員して管理する従来の体制を覆すのではなく、並走しながら牽制する。そうした意味での民主主義であって、それが何らかの適正な形で実現できれば、悪い話ではない。

 一歩踏み込んでいえば、「通貨」よりも「価値」の流通である。

タグ: