乱暴な個人自由侵害でも許される理由、中国の「ゼロコロナ」政策

 先日、上海に住む友人(日本人女性)とZoom雑談。時期的にコロナの話も当然出てくるわけで、いろいろ聞いてみると、あることに驚いた。彼女の旦那さん(中国人)はなんとワクチン未接種のまま不自由なく暮らしているという。

 中国は過酷な「ゼロコロナ」政策を実施し比較的低い感染率を維持していることで知られている。3回のワクチン接種をしっかり受けておかないと、正常な日常生活ができないだろうと私がイメージしていたが、なんと全然違っていた。

 私の住むマレーシアもそうだが、中国以外の国では一般的にワクチンの接種回数で行動が制限を受けるかどうかが決められているのだが、中国は所在する地域ですべてが決まる。接種回数は基本的に関係なし。

 クラスターよりも、1人でも感染者が出たら、その人がいる場所(通常居住する場所)は丸ごとブロックされる。入ることができても出ることはできない。ブロックされた区域は1戸1戸に対してPCR検査を繰り返し、全員陰性が確定した時点で開放される、というやり方である。

 彼女が住むマンション棟も一度ブロックされたことがあり、その間はゲートが鎖をかけられ、出入りは完全禁止。食料品や日常品はオンラインで購入し、ロビー階に設けられた専用受け渡し口を使って受け取る。3~4日後に全棟住民の陰性が確認された時点で鎖を外され、出入り自由になると。

 彼女の旦那さんはワクチンを打たない主義なので、一度も接種を受けていない。それでも上記のマンション棟ブロック以外に、制限を受けたことがない。外出も公共交通機関やレストランの利用も全く自由という。

 考えてみると、ワクチンの防護作用が薄れたところ、こうした「ピンポイント・ロックダウン」形式のほうがはるかに合理的だ。

 しかし、自由主義諸国では、個人自由の制限という問題があって、なかなかこういう乱暴なやり方は取れない。全体的にみれば、小比率の一部の人の不自由と引き換えに大多数の人の自由が保障される。効用総和の最大化という功利主義的な意味では正しいのだ。

 「最大多数の最大幸福」。ベンサムの功利主義は、個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視するものであり、総和主義とも呼ばれている。賛否両論ではあるが、合理性は否定できないだろう。

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