「ゼロコロナ」解除後の中国、感染氾濫の責任は誰にある?

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 「ゼロコロナ」解除後の中国は、感染者も死亡率も急増し、医薬品や病床などの医療資源の不足も深刻化している。これはいずれも、想定内のことだった。

 自由を謳歌するのもつかの間。薬を求めて薬局に殺到し、発熱外来に列をなす。そして、外出を控え、自主隔離、さらにそのうち違反者に対する私刑的な制裁も出てくるだろう。国民は次第に自主管理・自主規制モードに入る。自警団体制の出現は、「他律」から「自律」への転換を意味する。これは、統治の極意だ。

 民意を受けて「ゼロコロナ」の解除に踏み切った。結果はこの有り様。いざ「ゼロコロナ」の再開を求められたところで、費用は全て自己負担。当たり前だろう。民主主義の自由には、責任、リスクそしてコストが伴う。

 国家主導の「ゼロコロナ」政策は莫大な財源を必要とする。これで、国のコロナ財政難問題も一挙に解決する。だから、「白紙革命」というデモを利用しない手はない。習近平は帝王学に精通している。人民の力で人民を治める。このメカニズムはもちもん、「自由」を愛する人民、愚民には理解されないだろう。

 一方、「ゼロコロナ」の解除に伴い、国民監視と批判される健康や行動追跡アプリは廃止された。これを評価せず、今度一転して感染拡大と医療崩壊の危機を批判する。そういう西側は、恥知らずだ
 
 アメリカは自由放任主義で100万人もコロナで死んだ。人口と医療条件比例で中国は400~500万人が死んでもおかしくない。自由のためにコロナで死んだ100万のアメリカ人はやむなし。それに比べて同じように死んだ中国人の命がもっと尊い。西側の自己矛盾も甚だしい。

 繰り返してきたように、独裁も民主も、単なる制度の違いだけ。メディアのあり方(プロパガンダ)統治の手段(愚民化)も共通している。中国のやることが全て悪、そう脊髄反射する人たちは、思考停止症候群で、程度の差があっても、既に愚民化されたとみて間違いなし。

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