温家宝総理の夢

 めったに中国の政治人物の発言を取り上げないのだが、一つだけ皆さんと共有したい。

 12月4日の全国「法制宣伝日」に、法律専門紙の「法制日報」は、温家宝総理のある講話を全文独自報道した。講話は、2008年5月4日、中国政法大学の学生との青年節懇談会上でのものだった。その一部を抄訳する。

 「『法制』か「法治』、どっちを使うか、再三に斟酌しました。一字の差ですが、意義が大きく異なります。『制度』の『制』だけでは、制度構築レベルにとどまっているに過ぎません。『治理(統治)』の『治』となれば、『国を治める』というレベルに次元が上がります」

 「真理が思想のトップ価値であるように、公平正義は社会と国家のトップ価値です」

 「天下の事は、立法は易く法の執行は難し。有法でも法に依らなければ、無法に等しい」

 温総理の言葉を読んで、法律人として私は感動を覚える。以前のブログで中国の「法制」と「法治」に触れ、「法制」と「法治」は中国語でともに「ファーツ」というのでよく混同されるのだが、その意義の大きな違いを指摘した。

 当たり前のことだが、温総理の口から言われただけに、感動するのである。なぜなら、中国に一番必要なことは、当たり前のことを当たり前にやることであって、それを温総理がはっきりと言葉にしたからである。

 中国にとって、大きな前進で、素晴らしい総理の発言に拍手と喝采を送りたい。

 「法治」という言葉、初めて中国共産党中央の公式文書に記載させたのも、温家宝総理だった。1997年9月、共産党15回代表大会を目前にして、当時政治局候補委員・書記処書記の温家宝氏は、専門家の助言を受入れ、大会公式文書に記されていた「法制」を「法治」に修正した。

 法制の中国。温家宝総理の夢であろう。しかし、現実は厳しい。「天下の事は、立法は易く法の執行は難し。有法でも法に依らなければ、無法に等しい」、温総理が自ら語ったのは、中国の一部の現状ではないか。

 「法制」から「法治」へ、中国にもその日は訪れるのだろうか。