北欧休日(2)~小国フィンランドの大きな力

<前回>

 「地球の歩き方」を片手に、ヘルシンキ市内のメインストリートを散策。

 ヘルシンキの街は、どことなくロシアの面影が感じられる。特にサンクトペテルブルクに似ているように思えた。

42221_2ヘルシンキ市内

 フィンランドは歴史的に、常にスウェーデンとロシアの間で支配され続けてきた。12世紀以降スウェーデンによる統治を受けるが、1323年スウェーデンとロシアの間で結ばれたパハキナサーリ条約によってフィン露境界線が定められ、東南部の「カレリア」の地は二つに分割された。後、19世紀のナポレオン戦争によりロシアの大公国となった。中央ヨーロッパから離れているロシアにとって、ヘルシンキはヨーロッパにもっとも近い接点となった。そして、1917年のロシア革命を機に、ついにフィンランドは念願の独立を果たしたのである。

42221b_2ヘルシンキ市内

 いわゆる外国による植民地時代に対する捉え方は、国によって様々である。国家の恥辱として後世の教育に当たる中国や韓国のような国もあれば、あくまでも歴史の一時期として冷静に捉える国々もある。フィンランドはどちらかというと、後者に属するものであろう。少なくとも政治的に国民感情を煽ぐようなムードは感じられない。むしろ、フィンランドという民族自身がアイデンティティーを脈々と伝承させてきた形跡を目の当たりにして感動を覚える。

42221_3ヘルシンキ大聖堂

 ヘルシンキの建築物も、街づくりもロシア文化の影響を受けながらも、どことなくフィンランド的な要素を感じさせる。

 中国は、欧米列強の侵略に対し一貫的に反発する姿勢を貫いてきた。しかし、経済急成長期以降の中国の建築を見る限り、欧米模倣が多かった。ネーミングまで、「ベルサイユー」や「ローマ」といったものがいたるところに溢れている。マクロ的には、街づくりまで「アジアのマンハッタン」やら「中国のハワイ」、米欧に目を向けていることは否めない。

 中国では、最近「国学」という学問に人気が出始めた。いわゆる中国固有の文化を復興しようという中国発のルネサンスである。経済は高層ビルだとすれば、文化はその基礎となる。中国は文化大革命で固有文化という基礎を崩壊させた後、経済という超高層ビルをいきなり作ってみた。すると、あちこちに歪みが生じるわけである。それは基礎がしっかりしていないからだ。

 大国ロシアと大欧州の狭間にたくましく生きる小国、フィンランドに、中国は学ぶものはないか・・・

<次回>