博士号と葬式、毒舌者の死に方を考える

 私がいま留学中の華東政法大学から連絡があって、連続2期、今年度も上海市政府留学生奨学金の支給が決まったと。

 嬉しい一方、40代の学生でしかも奨学金など、ちょっぴり恥ずかしい気もする。まあ、いいかと思ったのは、実はいま私が在学中の法学博士コースの学生がほとんど20代後半から30代の社会人であるからだ。中に40代の留学生も私だけではない。

 博士号をとっても就職が難しいし、いい給料がもらえるわけではない。企業は博士が頭でっかちでかえって使いにくいので、敬遠するきらいがあるからだ。逆に、しばらく実務をやって、仕事についている人間だと、実務と学術の結合で頭の整理にも都合がよい。なるほど納得。

 私も実はその一人である。

 そして、私の修士時代の先生から博士コースを薦められたとき、冗談半分でこう言ってくれた。

 「立花君よ、博士号は自分のためではない。顧客にもっと良い知的サービスを提供するのがあたりまえで、顧客孝行ですが、プライベートでいうと、奥さんのための奥さん孝行ですよ。なぜなら、修士号をとっても『立花修士』といいません。博士号を取ると、『立花博士』になるんでしょう、『ドクター・タチバナ』ですからね。それで、あなたの葬式で、あなたの奥さんはだれよりも鼻が高い。いくら生前のあなたが毒舌で皆に嫌われても、葬式では、亡くなったあなたの悪口を言う人は一人もいないはずです。しかも、超べた褒めですからね。それに『博士』となると、考えて見なさい。そう、その瞬間、最後の瞬間に、『この人と結婚してやっぱり良かった』と奥さんも実感するんでしょう。これ以上の奥さん孝行はないでしょう」

 この話を聞いて、うれしいか悲しいかよく分からないが、妙に納得した。

 其の一、生きている私は毒舌であること。
 其の二、いずれ私は死ぬこと。
 其の三、博士の帽子も棺に入れるよう納棺師にお願いしておくべきこと。

 幸い、博士課程で奨学金までもらったことで、少なくとも悪い学生ではないはずだから、一応名誉ある死ができそうで、安心した。

 四十歳過ぎると、そろそろ死に方を考えないと・・・