AI時代、タイタニックの救命ボートと日本人の将来

● AIに取って代わられる人たち

 ChatGPT、AIの話になると、大方の日本人は、「ChatGPTは人間に取って代わることができない」という。その「人間」とは、実は「自分」のことを暗示している。

 彼らは、「人間にしかできないこと」、つまりAIの短所に目を向ける。それは違う。まず人間の短所、つまり人間よりもAIのほうが長けており、より効率よくできることに目を向けるべきだろう。そして、AIと同一かそれ以下のレベルの仕事しかできない人たちを淘汰することだ。

 さらに、AIは必ずしも正確ではないという人もいる。では、人間は必ず正確なのか?逆に人間のミスをAIが直してくれることだってたくさんある。何よりも、人間はサボる、嘘つく、私利私欲を図る。そういう悪しき「人間らしさ」は、AIにはない。

 日本人ホワイトカラーの8割はAIに淘汰される。だから、大方はAIを嫌っている。だが、その好嫌にかかわらず、AIによる人間排除の時代はもうそこまで来ている。逃げられない。「AIは人間に取って代わることができない」という人たちは、もっともAIを恐れ、もっともAIを敵視し、そしてもっともAIに取って代わられやすい人たちだ。

● 外国語スペシャリストは要らない

 翻訳ソフトなど、ChatGPTと比べたら取るに足らないものだ。外国語の問題はほぼ消えている。もう外国語学習不要と私は言いたい。もちろん外国語ができるに越したことはないが、問題は学習の時間と労力という資源の使い方だ。思うに、AIの上に立てるための力を鍛え上げる、その特訓に資源を投入したほうの経済的効果がはるかに高い。

 国連会議での同時通訳(逐次ではない)レベルなら話は別だが、外国語などは、人間がやることではない。AIの守備範囲だ。日本人はもともと不得意な外国語にエネルギーを投入すべきではない。社内で英語を共通語とする会社などは、馬鹿げている

● 犬の散歩は、AIやロボットでできるのか?

 衝撃的な事実が判明――。私と自宅のフィリピン人メイド(家政婦)、どっちがAIやロボットに取って代わられやすいかを、ChatGPTに聞いたら、私であることが判明した。メイドや主婦の家事(買い物や調理など)、いわゆる肉体労働は人間的な部分を必要とするからだ。では、犬の散歩はどうですかとChatGPTに聞いたら、こんな答えが返ってきた。

 「犬の散歩は、AIやロボットで完全に代替することは困難です。犬の散歩には、犬の健康状態や性格、体力、散歩コースの選定、交通状況や他の犬との関係など、様々な要素があります。これらの要素を考慮しながら、犬に合った運動量や散歩時間、コミュニケーションを行う必要があります」

 「AIやロボットには、犬の行動を認識し、散歩コースを決定する技術はありますが、犬に合わせた運動やコミュニケーションを行うことは困難です。また、散歩中に犬が危険に晒された場合の対応や、緊急時の対応など、意外な出来事にも柔軟に対応する必要があるため、人間の介入が必要となります」

 「犬の散歩は、犬とのコミュニケーションや、犬の健康維持につながる重要な行為であり、人間が行うことが望ましいとされています」

 なるほど、私がもしAIに取って代わられたら、犬の散歩に専念する。結局、オフィスから駆逐されたホワイトカラーには、現場労働という受け皿がある。私が繰り返してきたように、第三次産業は過剰発展し、労働力の供給過剰であるから、その調整が必要で、多くの人は第二次産業や第一次産業の現場に逆流・還流しなければならないのだ。

● 人類はAIに滅ぼされる?

 交通手段に例えると、ワープロからパソコンまでは、馬車から自動車への進化で、インターネット等のITは、高速道路と空港滑走路の整備にあたり、そしてChatGPTは航空機を作り出す産業大革命である。

 飛行機で飛ぶのが危ないから、自動車の方が安全という人もいれば、自動車よりも徒歩のほうがさらに安全で健康にいいという人もいる。まあ、いろんな価値観があっていいと思う。いずれ歴史が検証してくれるだろう。

 人類は自ら作り出すAIに滅ぼされるというが、その可能性はもちろんある。ただ時代の流れに乗らないと、人類がAIに滅ぼされるのを待たずに、ほかの人間強者に滅ぼされてしまう。死ぬか生きるかの選択よりも、いつ死ぬか、いつまで生き延びるかの選択だ。

● 一人何色あればいい?

 東京大学の入学式。総長式辞や祝辞で語られた話の軸は「個の中に内包される多様性」である――。「経済成長期(十人一色、効率)→ 経済成熟期(十人十色、多様化による需要創出)→ 知的資本経済期(一人十色、イノベーション)」という表現は、如実に時代の変遷を反映し、示唆に富んでいる。

 さらに付け加えると、これからの「AI共生期」では、「一人無色」そして「一人変色」が求められる。

 AIが様々な色を持ち得る。人間がAIと共生していくには、特定の色を静態的に持っているだけでは足りない。数ではないからだ。変化に対応するには、「無色」というゼロベースをもって、動態的に「変色」していかなければらない。赤から紫に変わることができても、赤が青に変わるには、一旦「無色」というニュートラルに切り替えることが必要だから。

 その「無色」は、スポーツでいえば、基礎体力にあたる。陸上も水泳も基礎体力を必要とする。時代を生き抜く基礎体力はつまり、サバイバル力である。

● 日本という特別なタイタニック号

 ChatGPTは、どのように展開するか。

 中国の場合、政府は密かに活用するが、民間の一般使用を何らかの形で制限すると、私は予測する。聞いてはいけない質問に、AIがペラペラ喋ったら困る。

 日本の場合、政府も民間も使用に非積極的で、最終的に「空気」主導の自主規制で制限すると、私は見ている。AIが雇用をどんどん奪ったら困る。IT全般で乗り遅れた日本には、実はChatGPTがキャッチアップの好機だが、残念な結果になるだろう。
 
 日本という国は、まるで「救命ボート使用禁止」のタイタニック号。救命ボートを下ろすと、乗れる人乗れない人、乗る順番を決める議論になるから、それはタブー。だから、救命ボートの存在を無視し、「救命ボートも荒海に飲まれる危険がある」とし、全員が船内にとどまり、音楽演奏を聴き、無事を祈る。

 ただし、一握りの人だけが密かに独自の救命ボートを用意し脱出し始めている。その脱出法をAIが教えてくれるかどうか、問いかけ方次第である。

タグ: