ケニアで習ったスワヒリ語は二つ――「ジャンボ」と「ハクナ・マタタ」
まず、「ジャンボ」。「おはようございます」も、「こんにちは」も、「こんばんは」も、全部この一言に集約されている。人に会えば笑顔で元気よく「ジャンボ」!実に歯切れの良い言葉で、誰に対して大きな声で「ジャンボ」と挨拶するのもされるのも、気持ちがいいものだ。
アンボセリのマサイ村で一緒に踊る
火の起こし方を教えてもらう
次に教わったのは、「Hakuna Matata(ハクナ・マタタ)」、「No problem」「問題ない」という言葉だ。同じく、私が接してきたホテルのケニア人スタッフのなか、少し日本語のできる人で唯一熟練にしゃべる日本語は、「コンニチハ」と「モンダイナイ」なのだ。
「没問題(メイウエンティー)」。そういえば中国でもよく聞かされる言葉だが、少々ニュアンスが違うように思える。私の場合、中国で「没問題)」といわれても本気で受け止めることはほとんどない。それどころか、逆に問題視してしまうほど、「没問題」は最大な問題だ。
中国の「没問題」は、一応問題の存在を前提に、今回のケースでは問題がない、あるいは「私に任せろ、すべて解決してあげるから」という意味が込められている。が、ケニアの「ハクナ・マタタ」は、異なる意味の「問題ない」なのである。
ケニアには、「ハクナ マタタ」という有名な歌がある。
ハクナ マタタ なんていい響きなんだ
ハクナ マタタ 愛のメッセージ
悩まずに生きることさ
俺たちのこの知識 ハクナ マタタ
・・・(略)
悩まずに生きることさ
俺たちの合言葉
ハクナ マタタ
「悩まずに生きる」というのは、愛する人に対する「愛のメッセージ」であって、また仲間の「合言葉」である。そこで、「ハクナ・マタタ」の真意は、「どんな問題でも乗り越えられるから、悩むことはない」という自信の現われなのか、それとも「問題そのものを問題視しない、ある意味で問題から逃げれば、悩むことはない」という意味なのか、正直私は迷った。
ケニア滞在中に接したケニアの人たちを見ると、一人ひとり皆陽気で悩みを抱えているようにも、真剣に問題解決に取り組んでいるようにも見えなかった。だとすれば、後者か――。「問題そのものを問題視しない、問題から逃げれば、悩むことはない」。そうであれば、それも一つの立派な生き方だ。
「問題」は悩みや苦痛の元である。問題の解決はまた苦労する。たとえ一つの問題が解決しても必ず次の問題が生まれるから、きりがない。だから人生は悩みや苦痛、苦労の連続だ。だったら、最初から問題から逃げればいいのではないか。すると、人生はどんなに素晴らしいか。
朝起きて、今日も生きていてよかった。それだけで幸せ。問題などは存在しはしない。解決する必要ももちろんない。ハクナ・マタタ。愛する人たちにも、仲間にも、ハクナ・マタタ。私も、あなたも、彼も、彼女も、みんな、ハクナ・マタタ。
すると、問題解決を商売とするコンサル業は、ケニアでは恐らく食べていけないだろう。旅行に来るだけでよかった・・・
<終わり>