<雑論>日本のデジタル投資はなぜ出遅れるか / 日本企業に共通する問題 / 石破茂と似非保守と日本政治の現実 / 投票しない

● 日本のデジタル投資はなぜ出遅れるか

 デジタル投資増加とGDP成長の相関関係は、添付された図表からも一目瞭然である。米国と日本のデジタル投資額を比較した場合、その差は歴然としており、特に2000年代以降に米国の投資額が急増し、それに伴いGDPの成長も加速している。一方、日本のデジタル投資は緩やかであり、GDPの伸びも限定的である。この事実は、デジタル化が経済成長の1つの主要な推進力であることを如実に示している。

 もしこの図に、労働生産性や平均賃金の推移を重ねると、日本の遅れがさらに鮮明になるだろう。労働生産性はデジタル化による業務効率の向上と密接に関係しており、デジタル投資の少なさがその停滞の一因であることが推測できる。また、平均賃金のグラフを加えれば、デジタル化の進展が賃金格差にどう影響するかが明確に見えてくるだろう。

 日本人がITに関して「できない」のではなく、「やらない」だけである。技術的には高い能力を持つ日本人だが、あえて急速なデジタル化に踏み切らない背景には、社会の安定性を守る意図があるのかもしれない。デジタル化は新たな産業構造を生み出し、効率化が進む一方で、所得格差や雇用の不安定化を引き起こすリスクがある。そのため、過度な格差が社会を揺るがすことを懸念し、意識的にデジタル化を緩やかに進めているとも考えられる。

 日本社会は、第二次産業革命までは適応し、世界の最先端を歩んできたが、第三次産業革命以降は「先進」と乖離し始めた。その結果、社会の基準は、進化のスピードに追いつけない「後進」に合わせざるを得なくなっているのだ。この現象は、日本の社会構造が依然として農耕社会的な特質を色濃く残していることに起因している。共同体重視の社会では、急激な変化を避け、全体の調和を保つことが優先される。デジタル革命による急激な変化に対応することが難しい日本の現状は、まさにその象徴であり、日本が抱える「農耕型社会」の宿命といえよう。

図表:10月4日付PRESIDENT Online

● 日本企業に共通する問題

 24年間にわたり経営コンサルタントとして現場に立ってきた中で感じたことを述べる。多くの日本企業に共通して見られる問題は、「全体最適」を目指すよりも「部分最適」を優先し、「原因療法」を探るよりも「対症療法」で対処しようとする姿勢、そして「本質」へのアプローチを避け、「表面的な解決策」に終始してしまう点にある。これが最も大きな課題だ。

日本人は非常に優秀であり、技術力や労働倫理も世界に誇れるものがある。しかし、その優秀さが逆に「自縄自縛」に陥らせている現状がある。過度な形式主義や縦割りの組織文化が、柔軟な発想や全体的な視点を阻んでいるのだ。この根本的な問題が解決されれば、日本企業は再び世界の最前線に立つ潜在力を持っている。それだけの能力と資源があるにもかかわらず、十分に活かせていない現状は、非常にもったいないと言わざるを得ない。

● 石破茂と似非保守と日本政治の現実

 「石破茂」で検索すると、ニュースの9割が彼を叩く記事ばかりだ。発足したばかりの政権が長続きするかどうかは分からないが、どちらに転んでも、私は石破支持派だ。なぜなら彼はリアリストであり、真の保守愛国者だからだ。これに対して、安倍晋三氏などは演技の上手い偽保守に過ぎない。日本の政治において、演技と現実がどれほどの違いを生むかを、石破氏は明確に示している。

 私は若い頃、一時期政治家を志したことがあった。しかし、妻が止めてくれた。「あなたは政治家になれば寿命が縮む。いや、そもそも当選しないでしょう。あなたのようにずけずけとものを言う人間は無理。我が家の資産を無駄遣いしないで、選挙資金はギャンブルよりタチが悪い」と。今、石破氏を見て、私は妻が100%正しかったと確信している。日本の政治の現実は、言いたいことを言う人間にはあまりに過酷だ。

 もし高市早苗氏が首相になれば、毎年靖国神社に参拝するだろう。これに対して中国は対日制裁を強化し、サプライチェーンの一部を切り、日本の生活コストは1割以上上がる。さて、保守派の皆さんに聞きたい。生活費が年間30万円以上上がっても、総理の靖国参拝を優先することが本当に重要なのだろうか?結局、マルクスの理論が正しい。経済の下部構造がイデオロギーの上部構造を規定する。英霊を崇拝するのは結構だが、それにはコストがかかる。お金を払えるか?払えないなら、それはただの貧乏偽保守の遠吠えに過ぎない。

 日本人は近年、きれい事を言っても金を出さなくなった。「台湾有事は日本有事」と言いながら、台湾防衛に日本の血税を投入し、中国からの制裁を受けて大損害を被る。そこで改めて聞きたい。台湾との友情が本当に大切だという保守派が、1人50万円や100万円を台湾防衛に投入しても良いと考えているのか?手を挙げてもらいたい。誰かいるか?お金のない者は引っ込み、お金のある資本家は中国との商売があるからそれも引っ込む。結局、日本人は台湾に「やるやる詐欺」をしているだけではないか。それは悪徳であり、地獄に落ちる覚悟が必要だ。反論は大歓迎だが、事実は変わらない。

 右派や左派、保守やリベラルという分類には2つの効用しかない。ひとつは金儲けの道具として、もうひとつは鬱憤晴らしの道具としてだ。左右の原理主義者などほとんど存在しない。真の原理主義者とは、腰に爆弾を巻き付けて人混みに突っ込み(肯定するつもりはまったくないが)、自らの命を捧げる覚悟を持つ者のことだ。だが今の世に、命を捧げるどころか、少しの金も出さずに口だけを開く輩が多すぎる。そうした者たちがイデオロギーを語る資格などない。恥を知るべきだ。それこそ、かつて神風で敵艦に突っ込んだ英霊に申し訳が立たない。

 Japan First。私は、国益第一論者であり、それが愛国保守だ思っている。もし両者がイコールではないならば、私はそんな「保守」を捨ててもいい。無価値だ。

 SNS上の選挙議論のほとんどは「人物論」に終始し、「政策論」は皆無だ。安倍晋三氏を裏切っただの、誰々がどうのこうのといった話ばかりだ。安倍氏が亡くなったからといって、彼が神様にでもなったのか?それとも国益は何か、国益に沿った政策とは何かを真剣に議論しているのか?答えは明白だ。日本の民主主義は、まさにプラトンが描いた「ダメな民主主義」の姿そのものである。吐き気を催す現実だ。

 そして日本には、真の保守はほぼ絶滅している。あるのは左ウィンカーを出して左折するものと右ウィンカーを出して左折するもの。『エセ保守が日本を滅ぼす』(適菜収著)は後者を言っている。その一節ーー。「安倍政権は左翼・グローバリスト政権と呼ぶべきである。ところが、巷間では安倍政権は『保守』政権と見なされている。なぜこのような誤った認識が広まってしまったのか。それは『保守』とは何かということが理解されていないからである。我々は改めて『保守』を問い直す必要がある」。安倍組、麻生派といった「似非保守劇団」を崩壊させる。石破首相の決意は、日本の国益に合致する。石破れぬ!

 佐藤優氏は雑誌『プレジデント』2020年7月17日号の寄稿の中で、「トランプ米大統領の信仰する長老派の特徴は、打たれ強いこと。その代わり、負けを認めず、反省しません」と指摘していた。さらに10月2日の講演で「石破さんとトランプは(パソコンの)OS(基本ソフト)が一緒」といい、トランプ氏が11月の大統領選で再当選すれば「意外と波長が合うと思う。同じような考えをしているから」と予想している。

 「不屈の精神の持ち主だ。ここまで石破茂氏を突き動かしてきたものはいったい何か」。佐藤氏は、宗教にあり、トランプとも共通すると指摘する。全く賛同。佐藤氏自身も哲学に支えられている。トランプ氏も、石破氏も、佐藤氏も、私の尊敬する鉄人・哲人である。哲学や宗教というOS(基盤、拠り所)を共有する人間は、すぐ分かる。世俗の美学基準に照らして美しくないかもれないが、意志力が強い、ブレない。それは哲学の「美」である。

 さらに、石破首相は「裏金議員」計12人を非公認とした。当初から言っていた。高市氏が役職を蹴っ飛ばすのが間違い。彼女には次の総裁より、次の総裁選すらない。そういう状況だ。高市氏は頭がまあまあいいが、本質を見抜いていない。似非保守層が拝むタレントでしかない。靖国参拝すれば、国が助かるなら、誰でもできる。

 先日、石破氏を期待するかしないかという某ネット調査の結果をみたら、期待するのが僅か2割。二八法則、見事に当てはまる。8割という一般国民の大多数は、政治や国家運営のことが理解できない。自分の希望的観測と違うものを排除する。しかし、正しい国家運営は、多くの政策は大衆に不人気である。指導者が心を鬼にしてやらねばならないことがある。

 家庭と一緒だ。勉強しない子供の尻を叩くのが親の責任だ。家庭で民意、子意に耳を傾けていたら、家庭が崩壊する。ほとんどの日本人は、政治に興味がないという。しかし、興味も知識もない人たちはなぜ、政治に口を出し、投票するのか?おかしくないか?まずは勉強するだろうが!

 最後に余談。米中露日、四大国。トランプ、習近平、プーチン、石破茂の4人は、波長が合うグループであり、トランプが当選すれば、世界が変わるかもしれない。

● 投票しない

 今月の投票は、前回(3年前の記事『なぜ、私は投票に行かないのか?』)同様、私は行かない。日本国民の投票権を放棄する。「政治で社会を変えるよりも、哲学で自分を変えたほうが、はるかに手っ取り早い。幸せになれる」という考え方は変わっていない。腐った肉と腐った魚を選ぶよりも、選ばないことを選ぶ。

 私が今まで票を投じてきた政治家の後を追跡してみると、誰もが期待通りになっていないか、裏切られていることに気付く。もうたくさんだ。投票場へ行く時間とガソリン代がもったいない。

 投票コスト。私は自分の1票を投じるために、平均20時間以上をかけて選挙区と比例候補の政策を読み込んで吟味していた。しかし、その時間と労力が無駄だったことが証明された。もう懲りたので、その時間は高齢の愛犬たちと一緒に過ごすのがはるかに有意義と思った。政治家の連中は勝手に当落すれば良い。私は、投票のための勉強という義務を果たせなくなったので、投票の権利を放棄した。義務と権利の対等原則だ。

 日本の場合、「地域の行事に頻繁に顔を出してくれる」という政治家は良い政治家で票を投じる、という有権者たち。それを見ていると、幻滅する。

 プラトンは民主主義を批判し、その最大の欠点は「多数決」によって無知な大衆が支配者を選ぶことであると考えた。彼は、知識や知恵に基づかない大衆の意見が、感情的な選択をもたらし、国家を危険にさらすと主張した。また、ポピュリズムに陥りやすく、選ばれる指導者は自己利益や名声を追求するため、真に優れた指導者が選ばれにくいという懸念を抱いていた。劇場型政治は、プラトンの予言した通りになっている。

 今の時代、選挙は街頭演説などは不要だ。ネット上で政策を並べて戦えば、十分。AIが国益前提に一次選考を行い、有権者も意見を述べ、AIの審査を受ける。理性的、科学的な民主主義が必要だ。人を選ぶのではなく、政策を選ぶのだ。国益になる政策なら、自民党だろうと、共産党だろうと関係なく採用する。まあ、私の理想郷だが、無理だろう。だから、民主主義国家が権威主義国家に追い抜かれる。

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