● 日本人の平均的不勉強度
日本人の平均的不勉強度ーー。
東洋経済オンラインの「昨日よく読まれた記事ランキング」を見ても、圧倒的にアクセスを集めているのは「公務員の年収ランキング」「婚活女子」「ティファニーのモーニング」など、世俗的で個人消費や好奇心を刺激する内容ばかりである。

そこには、世界経済の潮流や地政学リスク、日本の産業競争力、資本市場の構造変化といった、ビジネスパーソンが真に学ぶべき論点はほとんど見当たらない。
これは単なるメディアの責任ではなく、読者=日本人ビジネスパーソンの知的嗜好の反映にほかならない。編集部は「読まれる記事」を作らざるを得ず、結果としてランキングに並ぶのは、大衆迎合的な「給料ランキング」や「婚活記事」となる。つまり、需給関係が完全に成立しているのだ。
本来、世界経済や政治の分析記事こそ、経営判断や投資戦略に直結する知識であり、日々の学習の核とすべきものである。しかし、多くの日本人ビジネスパーソンにとっては、そんな抽象的で難解な分析よりも、「自分の年収は他と比べて高いか低いか」「婚活市場で普通とは何か」といった目先の比較や共感の方が関心を引く。
この現象は、知的退行の表れであり、日本のビジネス社会の「不勉強さ」を如実に物語っている。大衆に合わせて経済誌がワイドショー化し、ワイドショーに合わせてビジネスパーソンの知的水準が下がる。まさに悪循環である。要するに「ビジネスパーソンが勉強しないから、経済誌が教養誌になれない」のだ。
一方では、スピリチュアル信者やが外国人排除……。極端志向・思想が増えている。固定化する格差が発端である。人間は、生存の危機・孤独・不安といった「淘汰のプレッシャー」を受けると、認知力が大きく低下する。
憂鬱に陥る人もいれば、逆のパターンもいる――。アドレナリンやドーパミンの分泌が過剰になり、迫り来る危機に対抗するために、普段よりも高揚し、極端な行動や非現実的な思考に陥る状態になるまるで強い酒や麻薬を摂取したかのような精神状態となり、現実には存在しない幻覚や幻聴が現れることもある。
この状態では、非科学的な話や神秘主義を信じやすくなり、普通ならば受け入れないような荒唐無稽な思想や考えも受け入れやすくなる。経済格差が固定化し、絶望や困窮に苛まれる人々が増えれば増えるほど、認知の変化によって、非科学的な信念に頼る人々が増加する。
● SNSのコメント
私のSNS投稿に寄せられるコメントの多くは、概ね三つのパターンに分類できる。
第一に、記事中のワードに関わる自らの既知情報や体験談を展開するものである。
第二に、自身の認識や価値観と一致しない内容に対し、論点をすり替えて間接的に反論するものである。
第三に、善悪の倫理論や「べき論」を展開するが、具体的な提案・代案を示さないものである。
総じて、私の投稿が提起する問いに正面から向き 合い、痛点を捉えた反論は少ない(2割弱)。SNSによるユーザーの「時間搾取」に身を委ねるほど愚かなことはなく、基礎的思考力を欠く者は沈黙すべきである。自らの人生を無駄にしてはならない。そして、念のため付言すれば、私は社交辞令的な「いいね」や非建設的なコメントを求めているわけではない。
愚劣なコメントを書き込む者を調べると、その八割は似非保守と称される右派であった。彼らは日頃、左派を「花畑」と嘲笑し、現実を知らぬ夢想家と断じている。だが、実際に非現実性という次元で比較すれば、右派の花畑度は左派を凌駕する。
左派の空想は少なくとも理念や理想を追う一貫性を持つ。現実から乖離していても、その方向には「理想社会」という一応の輪郭がある。しかし似非保守右派の言説はどうか。彼らは口先で「現実主義」を唱えながら、現実の力学や制約を一切直視しない。
結局のところ、右派が左派を「花畑」と罵るその口で、彼ら自身がより大きな花畑に遊んでいる。違いは、左派の花畑にはまだ花が咲くが、右派の花畑には毒草しか育たぬということだ。
さらに、代案のない「べき論」について、代案なきものは、存在価値をまず認めるべきである。存在しているという事実そのものが、何らかの必然や役割を担っている証左である。批判や否定は容易であるが、代案を欠いた否定は単なる破壊にすぎず、空白と混乱を生むだけである。
ゆえに、批判の第一歩は存在そのものの価値を承認することにある。その承認を経てこそ、改善や進化の議論が可能となり、秩序や制度はより高次の段階へと移行するのである。代案なき批判は無責任であるが、存在価値を踏まえたうえでの批判は建設的であり、未来への道を切り開くものである。
● イデオロギーは商品だ
イデオロギーは所詮、商品である。右も左も、単なるブランド違いのビールにすぎない。キリンかサッポロか、どちらを選んでも結局は「酔いたい」だけだ。
笑えるのは、キリン党とサッポロ党が「俺の方が本物だ」と喧嘩し合うことだ。挙げ句の果てには「お前は裏切ってサッポロに寝返っただろう」と、同じキリンファン同士で血みどろの内ゲバを演じる。だが彼らが本当に求めているのは、思想でも正義でもなく、ただの「酔い心地」=自己陶酔だ。
さらに笑劇は続く。もしビール1本が3000円になったら、キリン党もサッポロ党も一斉に黙りこみ、シラフの世界に逃げ帰るだろう。ブランド論争など瞬時に蒸発する。なぜなら、思想闘争など経済条件の前では屁のようなものだからだ。結局、人は「理念」で動いているのではない。「値札」で動いているのだ。特に貧乏人連中だ。ビール銘柄を叫ぶ前にまずは財布の中身を点検しろ。
お金持ちは、もっと稼ぎ、もっと儲けるために「イデオロギー」という酒を醸造し、ラベルを貼って市場に出す。右派ラガー、左派エール、宗教系クラフトビール、どれも製造原価はほぼゼロ。原材料は群衆の不安と欲望だけだ。
一方、貧乏人はその酒を買って酔う。現実の苦しみを忘れるために、ブランド論争に熱狂し、泡立つ言葉に酔いしれる。だが酔いが醒めれば、財布はさらに軽くなり、頭痛と虚無感だけが残る。
イデオロギー市場の利潤構造はシンプルだ。
造る側=富裕層は利益を独占し、
飲む側=大衆は搾取され、廃人化していく。
結局、イデオロギーとは「安酒の値段で魂を売り払う装置」であり、資本家にとっては最高のビジネスモデルだ。
世の中の貧富格差。それは少数の金持ちが特別に賢いわけではなく、大多数の貧乏人があまりにも馬鹿だからだ。馬鹿とは、自分が馬鹿だということを知らない人たちのことだ。
● AIと人間の格差
AIは、人間の格差を拡げる。それは、人間に取って代わるのではなく、賢者をさらに賢者にし、愚者をさらに愚者にするからだ。貧富の差以前に、賢愚の差である。
この構造は、印刷技術やインターネットの普及とも似ているが、AIはさらに直接的に「思考そのもの」に介入するため、格差の拡大速度も激しい。つまり、AIは「人間の置き換え」ではなく、人間同士の能力差を増幅し、可視化し、固定化するテクノロジーである。
AIの本質は「入力依存型」。プロンプト次第で結果が変わる。思考力の強い人間は、プロンプトを改善し続け、AIを「主人」として操れる。思考力の弱い人間は、プロンプトを工夫せず(できず)、AIの結果に従属する「奴隷」となる。要するに、AIは「人間の質問力」をあぶり出す装置である。
● 反中中国人の実態
「帰化人を含めた在日中国人は、全員帰れ」。――私のところにコメントを書き込んだのは、何と中国人。疑問に思ったのは、中国人の中にその人自分が含まれているのかだ。もしや「自分は唯一例外の中国人」とでもアピールしようとしているのではないか。
「自分は唯一の例外」を証明するには、「日本人よりも日本人」という証拠が必要だ。その極限は、出自である同胞を全否定することにほかならない。だが日本人からすれば、「同胞すら裏切る者は、いつでも誰をも裏切る」としか映らない。こういう奴は信用できないと。
日本人はそれほど頭が悪くない(もちろん頭の悪い者もいるが)。口先が反中嫌中でも経済はすっかり親中になっている。中国人全員排除するのは経済的自殺行為だとちゃんと知っている。要は浮気の金持ち旦那の悪口を言いふらしても、お金欲しさで絶対に別れない妻のようだ。そこで離婚を煽る第三者は相手にされないわけだ。




