<雑論>AI時代の生態 / ゼレンスキーとトランプ / 国土と国民の命 / 日本企業 vs 中国企業 / 日本人の謙虚さ

● AI時代の生態

 そんなに時間はかからない。あと5~10年で状況が明らかになる。AI時代に生き残れるのは、以下3種類の人――。

 1. AIを作る人=新たな可能性を切り開く人(支配者層に近い)
 2. AIを使いこなす人=効率的に業務を改善する人(生き残る)
 3. AIを化かす人=AIの限界や本質を理解し、独自の価値を生み出す人(トップに立つ)

 最終的に勝つのは、「AIを化かせる人」だ。AI時代に悲惨で生き残れないのは、以下2種類の人――。

 1. AIに取って代われる人=単純作業・定型業務・ルーチン業務従事者(まず、淘汰される)
 2. AIに使われる人=ルール通りにしか使わない人(徐々に、淘汰される)
 
 新自由主義などに基づく人間同士の競争社会では、「弱肉強食」というが、AIが入ってくると、何と表現すればいいのだろうか?ChatGPTが以下のように答えてくれた。

 AI時代における競争の本質は、従来の「弱肉強食」から変化する。AIが社会に深く浸透すると、人間同士の単純な競争ではなく、人間とAIの関係性が競争の軸になるからだ。適切な表現を考えると、例えば以下のようなものが挙げられる。

1. 「適者生存」から「適AI生存」へ
 → AIを適切に使いこなせる者だけが生き残る時代。

2. 「人機優劣」
 → 人と機械(AI)の優劣が問われる時代。「人 vs AI」ではなく、「AIを操れる人 vs AIに振り回される人」という戦いになる。

3. 「人機淘汰」
 → AIと共存できる人は生き残り、できない人は淘汰される。

4. 「知識格差」から「AI格差」へ
 → これまでの「教育や情報の格差」に代わり、「AIをどれだけ活用できるか」が決定的な差となる時代。

5. 「AI適応戦」
 → AIに適応できるかどうかが勝敗を決める社会。もはや「強者が勝つ」のではなく、「適応した者だけが生き残る」。

6. 「知能食知能」
 → AIをうまく活用する知能が、そうでない知能を圧倒する時代。従来の「強者が弱者を食う」のではなく、「賢者が凡者を淘汰する」時代。

 従来の「弱肉強食」は、生物のフィジカルな力の差が支配する世界だった。しかし、AI時代は 「強い者」ではなく「適応した者」が生き残る」世界になる。だから、AI時代の競争を表すなら、「AI適者生存」や「人機淘汰」が、しっくりくるかもしれない。

● ゼレンスキーとトランプ

 ウクライナ戦争の行方を決めるのは武器の量だけではない。外交、資金、そしてリーダーの決断が未来を左右する。もしゼレンスキーが鉱物資源協定に署名していたら、トランプは軍事支援を継続するのか?答えは、NO。

 その時こそ、イーロン・マスクの出番だ。彼は「継続支援はいいが、まず今まで払った金の監査をする」と言うだろう。ウクライナへの支援は巨額に上るが、その使途は不透明な部分が多い。ゼレンスキーはこの監査に耐えられるほど潔白だったのか?

 結果は変わらない。米国の支援は打ち切られる。そう考えれば、ゼレンスキーがホワイトハウスで協定を蹴ったのは正しい選択だった。なぜなら、ヨーロッパからまだ少しくらいは支援を引き出せるかもしれないからだ。最後の一滴まで搾り取る、それがゼレンスキーの戦略である。

 トランプを「独裁者」「専制君主」と批判する人々がいる。では、そもそも独裁者や専制君主は本当に「悪」なのか?教えてほしい。独裁者は悪なのか?トランプがもし独裁者なら、それは民主主義の下で国民に選ばれた独裁者だ。彼を選んだ米国民が悪なのか?

 そして、負けが確定している戦争を長引かせることで、ウクライナは国土を失い、財産を失い、何よりも数え切れない命を失うことになる。それでいいのか?さらに、ゼレンスキーは戦い続けると言いながら、アメリカが提供した戦費の数百億、いや千億ドル単位の金が行方不明になっている。それでいいのか?

 もし、あなたの息子、いや娘がウクライナ人で、これから1対20という圧倒的な兵力差でロシアと戦い、戦場で死ぬことになったとしても、それで本当にいいのか?

 どちらが独裁者なのか?感情ではなく、論理で考えよう。情弱でいるのはやめ、事実を見て、冷静に判断すべき時ではないか。

● 国土と国民の命

 統治者が戦争の負けを認めるべき時、それは国民の命を最優先に考える時だ。国土を守るためにどれだけの血が流されるのか、それを冷静に計算しなければならない。もちろん、国民の命の方が大事だ。負け戦に直面した統治者に求められる決断でもある。天皇陛下もそう決断された。遅れた英断ではあったが、それによって日本は破滅を免れた。しかしその結果、一億の日本人がかつての敵、米国人に跪いた。

 逃げること、降伏することは恥ではない。日本はこの体験をウクライナに伝えるべきではないか?ウクライナのためにではなく、戦争が長引けばより多くの命が失われることを知っているからだ。

● 日本企業 vs 中国企業

 日本企業と中国企業の違いーー。

 日本企業: 分析してからやる。
 中国企業: やってから分析する。
 日本企業: コンプライアンスをしてからやる。
 中国企業: やってからコンプライアンスする。
 日本企業: ルールは守るものだ。
 中国企業: ルールは変えるものだ。

 変化の早い時代、勝敗の分かれ道がこれで一目瞭然。

 日本人が志す「安全」「安心」は、静態的なものを意味する。しかし、個人も企業もその「立地」は静的で固定的なものではなく、ダイナミックに変化する。この変化をポジティブに受け入れ、自分・自社のポジショニングを常に修正していくことが求められる。この変化を拒絶することがどのように恐ろしい結末をもたらすかをユーモラスに描いたのが、井伏鱒二の『山椒魚』だった。

● 日本人の謙虚さ

 日本人の謙虚さは、実のところ上辺だけのものであり、本質的な謙虚さとはかけ離れている。「和を重んじる」文化が根付いているため、自己主張を控え、謙虚な態度を取ることが礼儀とされている。しかし、それはあくまでも対外的な振る舞いにすぎず、内面では熾烈な競争意識が渦巻いている。日本社会では、「人間関係」の中で自らの立場を有利にするために戦略を巡らせ、時には表向きの謙虚さを利用することさえある。つまり、謙虚に見せかけることが処世術の一環となっており、それが本当の意味での謙虚さとは言えない所以である。

 さらに、日本社会では議論において負けることを極端に嫌う傾向が強い。自分の主張が誤りであると明らかになったとしても、それを素直に認めるのではなく、沈黙を貫くか、あるいは詭弁を弄して言い逃れを図ることが珍しくない。このような態度が蔓延しているため、本来ならば論理的思考力を鍛え、より良い判断を導くはずの議論が、単なる権威主義的な駆け引きや空疎なマウントの取り合いになりがちである。その結果として、個々人の思考力の成長が妨げられ、社会全体としての知的水準も停滞してしまう。

 このような風潮が長年にわたり続いてきたことで、日本はグローバルな競争の中で徐々に不利な立場へと追い込まれている。世界では、論理的思考と自己改善のためのフィードバックを積極的に受け入れる文化が強まる一方で、日本では未だに「空気を読む」ことが優先され、本質的な議論が避けられがちである。この差が積み重なり、経済的・技術的な競争力の低下へとつながっているのは明白だ。

 日本社会が本当に競争力を回復し、再び世界の舞台でリードしていくためには、表面的な謙虚さに頼るのではなく、誤りを認める勇気と、論理的に物事を考え抜く力を養う必要がある。そして、謙虚さを単なる礼儀作法ではなく、成長のための姿勢として捉え直し、知的誠実さを伴う真の謙虚さへと昇華させることが求められている。

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