私はいま、投資ポートフォリオの見直しを進めている。そこでいささか矛盾と捉えられる意思決定が存在している――。私は中国のAI発展と統治能力を高く評価し、AI分野ではいずれ米国を凌駕するとも見ている。しかし、AI関連銘柄については、私は中国ではなく、米国市場への投資比重を高めている。
なぜだろうか。結論からいうと、以下になる。
1. AI技術の差は相対的であり、絶対値は双方ともに上昇する。
米中のAI競争はゼロサムではなく、相互刺激によって総体的な技術水準を押し上げる。中国が米国を「凌駕」しても、それは相対的現象であり、AI文明全体の絶対値は上昇する。
2. リターンの還元経路が異なる。
中国のAI成果は国家統治能力の強化として国家に帰属し、米国のAI成果は企業価値の上昇として市場を経由し投資家に還元される。つまり、AIの利益配分構造がまったく異なる。
3. 中国=国家資本主義、米国=市場資本主義。
中国は政治的効率性を国家が享受し、米国は市場的効率性を投資家が享受する。中国のAIは統治のための制度装置、米国のAIは資本循環のための分配装置である。
中国のAIは、国家の中枢統治機能と結びつき、行政・治安・社会インフラを統合的に管理する巨大な「制度知能」を形成している。その実装力と速度は米国を凌駕しており、国家というマクロシステムを運用するうえでのAI活用という点では、中国はすでに世界の先頭に立っている。国家がひとつの経営体として機能するという意味で、私は中国モデルに深い敬意を抱いている。
しかし、私は中国ではなく、米国AIに投資する。なぜなら、AIが生み出す利益がどのように社会へ還元されるかという「分配メカニズム」において、西側体制、特に米国資本主義の市場構造こそが、最も透明で、投資者に開かれた制度だからである。
AIの知的生産物が企業価値を通じて株主リターンとして流れる仕組みは、中国型統治AIには存在しない。中国AIの成果は国家の効率向上に吸収されるが、米国AIの成果は基本的に市場を介して投資家に還元される。ゆえに、私が米国AIへ投資するのは、「技術への信仰」ではなく、「制度への選択」である。
私は、中国型統治体制のマクロ合理性を認めながらも、経済や市場というミクロ次元では西側体制にしか加わらない。これは矛盾ではない。むしろ、階層の異なる合理性を峻別し、それぞれに最適な制度を採用する整合的思考である。
マクロの世界では国家資本主義が秩序を供給し、ミクロの世界では市場資本主義が効率を供給する。二つの体系は国家単位では共存し得ないが、企業という中間構造体の中では共存が可能である。
企業は統治と市場を内包する唯一の組織体である。統治機能(安定)と市場機能(創造)を複層構造によって調整すれば、国家資本主義と市場資本主義の融合が企業内部で実現する。
国家単位では理念が衝突しても、企業単位では制度が統合できる。私はその確信のもとに、国家のマクロ的統制原理と市場のミクロ的創発原理を、ひとつの企業制度の中に共存させようとしている。AI時代において、国家が秩序を維持し、企業が経済を動かすだけでは不十分である。両者を内包する「企業国家」こそが、次の文明形態である。
ゆえに私は、マクロでは中国型国家資本主義を尊重しつつ、ミクロでは西側市場資本主義に身を置く。そしてその双方を企業という器の中で融合させる。それは国家間の選択ではなく、文明構造の設計である。





