民主主義の致命傷、中国は最強のハイブリッド国家

 民主主義は、2つの致命傷を抱えている。

 致命傷その1、「対事投票」であるべきところが、「対人投票」になっていること。最終的に政策を選ぶのであって、人は誰だっていい。今の間接民主主義制度では、どうしても代議士選びになってしまっている。

 極端な話だと、政策候補(事)がずらりと並んで、そこから良い政策を選べばいい。その政策を発案したり支持したりする政治家(人)は表に出なくていい。ビール箱立ちやら辻立ちやらして絶叫したり、愛想を振りまいたりする政治家がいたら、逆に困るのだ。有権者の理性的な判断を妨害するからだ。

 目隠し利き酒と同じ原理だ。ラベルや銘柄に影響されずに、ひたすら美味しい酒を求める。そういった意味で、与党や野党、左や右には関係ない。当たりの政策を出せばその政治家には点数が付く形になっていればいい。政策(事)があっての政治家(人)である。その逆であってはならないのだ。

 致命傷その2、「一般意志」であるべきところが、「個別意志」の積み上げになっていること。数の積み上げ、多数は必ず最適解とは限らないからだ。

 投票とは、各個人の利害や観念に基づく個別意志の単純総和である――。なんら加工や決定も加えることなく、単純に票の集計で達した結果のみである。このような個人の個別意志、いわゆる個体最適化の総和は、必ずしも全体最適化になるとは限らない。いや、ならない場面が多い。

 「一般意志」(ルソーの社会契約論)とは、共同体の結成にあたり、拠り所となる合意のことである。その合意は、共同体の全構成員にとって共通する共同体の利害を表しており、全体最適化を意味する。だから、話は「全体最適化」とは何か、というところから始まる。

 「一般意志」を求めるには、政治家や有権者を含む利害当事者を排除し、中立的な「神様」が必要だ。デジタル技術やAIがそれを可能にする、そういう時代にはもう遠くない。デジタルによる政策目的、一般意志の可視化は、脱民主主義の、真の民衆のための政治システムである。

 ただこの「技術型課題」以前に「適応型課題」が横たわっている。現行民主主義制度下の既得権益による妨害だ。この手法の実現において、もっとも可能性が高いのは、中華人民共和国だ。平均民度の高くない14億の人口をもつ中国には、「資本主義+独裁専制」がベスト選択だ。最強のハイブリッド国家だ。

 日米欧西側諸国の大衆は、民主主義ゆえに、真の自由が失われている。

 私はトランプ落選後の2年でこの事実を確信した。民主主義が大衆全体主義の本質を露わにした。大衆全体主義とは、責任の伴わない自由の総和、オルテガが指摘する超民主主義の世界だ。

 そういう意味で、私は反民主主義である。

<本稿の企業経営実務版> 『経営者とは?企業経営の一般意志と全体最適化』

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