五輪メダルが語る強権物語、中国はなぜ勝ち続けられるのか

 北京五輪における米系(米国人)中国人選手の国籍問題が浮上している。外国人エースを中国に帰化させる手法を中国が取っている。確かに「ズルイ」といえば、その通りかもしれないが、法的問題にはならないと思う。

 米国政府は二重国籍の存在、アメリカ人の多国籍保有を認めている。米側ではまず問題はない。ただ中国の国籍法は中国人の二重国籍を禁止している。そこが中国政府が進んで当該外国人の帰化を勧誘し、米国籍留保のまま中国籍を付与した場合は、いってみれば「超法規的措置」にあたる。

 「超法規的措置」、あるいは「超実定法的措置」とは、人命尊重や高度の公益の観点から実定法上の根拠に欠ける措置を行政権が講ずることをいう。たとえば、人質の命を保全するためにテロリストの要求を飲み、収監中のテロ仲間を釈放するなどがこれにあたる。

 では、オリンピックでメダルを取ってくれるから、「超法規的措置」を講じて禁止されているはずの二重国籍を容認することはどうだろうか。人命尊重といった緊急事態にあたらないことは明白だ。ただ国家レベルの「高度の公益」と解釈できるのかというと、国内法や国家主権の範疇においては他国は口出しできないだろう。

 選手は米国籍を放棄したくない。ただ(高額報奨金など)経済的利益が欲しいが故に、中国籍を取得するという仮説が成立してもおかしくない。そうした「超法規的措置」を大声で公にはできないが、中国は何らかの形で実施することは不可能ではないし、国際という次元で法的問題にもならない。

 このように、民主主義国家でできないことは独裁・強権国家でできる。善悪の倫理判断を別として、一言でいえば、本来ならば相容れない異なるOSが同じプラットフォーム上で運営される現象にあたる。

 グローバル経済においても国際スポーツイベントにおいても、様々な取引がイデオロギーを超えた主体間で行われる以上、民主主義国家は強権が欠落しているだけに、宿命的な負けを食らい続ける。トランプはこの本質を看破し、習近平や金正恩らの強権ぶりに羨望の眼差しを隠そうとしなかった。しかし、残念なことに米国におけるトランプの幻の強権政治は終止符を打たれたのだった。

 民主主義は、個人の「強権」や「独裁」と相容れない。しかし、民(愚民)による「強権」や「独裁」を牽制する手段は皆無だ。

 最後に付け加えておこう。日本の保守右派は、帰化日本人の国政参加や忠誠心問題で騒いでいるが、他方の中国では、自国帰化を五輪メダル獲得という実利に結び付けている。善悪判断の正義論を語っても意味がない。そもそもOSの異なる国と付き合わざるを得ないという事情があるのなら、宿命的だ。

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