<雑論>なめられる / 中国・日本人向け短期ビザ免除再開 / 中国によるペルー港の軍事利用 / 貧乏と他人の苦しみ / トヨタだけが違う?

● なめられる

 参政党の宣伝ポストには、「日本をなめるな」というスローガンが書かれている。「なめられる」のは、国がまだ強いうち、あるいは強そうに見られるうち。

 問題は、なめられなくなったら、もうおしまいだってこと。なぜ、中国で激しい反日運動がここ12年めっきり減ったのか?某中国人学者友人いわく「衰弱した国をいじめるのが大国のなすべき事ではない」と。メキシコやケニアなどをなめる人はいない。

● 中国・日本人向け短期ビザ免除再開

 中国外務省は3月22日、日本人向けの短期滞在査証(ビザ)免除措置を4年8カ月ぶりに、今月30日から再開すると発表した。ビザなしでの滞在期間も15日間から30日間に延びた。

 石破政権の「親中」姿勢が成果を見せ始めたとみることもできなくはないが、そう単純ではない。対米闘争に資源を集中するうえで、中国には日米の分断が不可欠だ。タイミングがよく、石破首相が米国べったりという従来のスタンスと一線を画した対米外交に切り替えた。それをみた中国も日本に対してスタンスを変え始めた、という背景である。

● 中国によるペルー港の軍事利用

 習近平は、ペルーで開催されるAPEC首脳会議に出席するため、11月14日に南米歴訪を開始した。初日には、中国が13億ドルを出資したペルーの大型深海港「チャンカイ港」の開港式典にオンラインで参加した。チャンカイ港は、南米とアジアを直接結ぶ海上輸送の拠点となり、「一帯一路」構想をさらに拡大する象徴とされている。一方、中南米地域を「裏庭」とみなす米国では、中国がこの港を軍事利用する可能性を警戒する声が報じられている。

 では、軍事利用の懸念について、米国と中国を比較してみよう。2023年時点で、米軍は約750か所の海外基地を展開しており、そのうち大規模な海軍基地は約30~40か所存在する。それに対し、中国が持つ海外海軍基地はジブチの1か所のみであり、さらに軍事目的での利用が指摘される港をすべて加えても3~4か所にすぎない。規模の上では、米軍と中国軍は比較にならない。

 次に、実際の他国侵攻の回数を見てみよう。米国は、過去250年の間に他国への侵攻や軍事介入を約200回以上実施している。これは、平均すると1年に1か国のペースに相当する。一方で、中国による近代以降の他国への軍事侵攻は、朝鮮戦争、インド、ベトナム国境紛争の3回にとどまる。

 さらに、米国の侵攻は、自国の安全保障や同盟国の防衛、民主主義の推進を名目とする場合が多く、しばしば正当化される。しかし、民主主義国家と独裁専制国家による他国侵攻の歴史を比較してみると、アメリカ、イギリス、フランスといった主要民主主義国家は、過去200年で数百回以上の軍事介入や侵攻を行っている。一方で、独裁専制国家による侵攻の例は限られている。なお、ヒトラーも民主主義の手続きによって選出された人物であったことを忘れてはならない。

 さらに、世界の民主主義人口と言えば、2017年の50%から2022年の29%にまで減少している。アメリカも民主主義も絶対善ではない。少なくとも、アメリカの民主主義は絶対善ではない。

 したがって、「中国が米国より危険である」、「独裁政権が民主政権より危険である」という結論にはならない。歴史を振り返る限り、むしろ逆の結論に至るのではないだろうか。

● 貧乏と他人の苦しみ

 『日本が「貧乏国」になり、「自分を正当化する人」が増えてしまった「厳しい現実」』(2024年11月9日付週刊現代)。この記事が事態を正確に描いているーー。

 「貧乏になれば、『他人の苦しみ』を見たくてたまらず、あの手この手で他人を引きずりおろそうとする。『自分はもう十分つらい思いをしたのだから、少々のことをしても許される』で、自己正当化する。根底に被害者意識が潜んでいるにせよ、いないにせよ、不満と怒りが強いと、鬱憤晴らしをせずにはいられない」

 人は他者と自分を比較することで自分の位置づけを理解しようとする。貧困や苦しみを経験している人が、自分より成功している人や幸せそうな人を見ると、相対的な不満が生じる。これを相対的剥奪感と呼ぶ。自分が感じている不平等感を和らげるために、他人を「引きずりおろす」ことで心理的なバランスを取り戻そうとする行動が生じてしまう。

 欲求不満-攻撃仮説は、目標が妨げられるなどして欲求不満を感じると、その感情が怒りや攻撃性として表れるという理論である。この現象では、不満や怒りが他人に向けられ、鬱憤晴らしとして「他人の苦しみを見たい」「他人を引きずりおろしたい」といった行動に結びついていると考えられる。

 自己評価が低下した人は、自己防衛のために他者を攻撃することで自分の価値を相対的に高めようとすることがある。これは投影や劣等感の補償といった防衛機制の1つとして説明できる。他人を引きずりおろすことで、「自分はまだ優れている」という感覚を得ようとする心理が働く場合がある。

 貧困や困難な状況にある人々の間では、集団的な「鬱憤晴らし」や「スケープゴート探し」が起こることがある。これは群集心理や同調行動によって引き起こされる場合がある。自分の不満を他人と共有し、他人を攻撃することで「連帯感」や「一体感」を感じることが目的になる場合もある。

 自分の苦しみや怒りを他者に投影し、「報復行動」を取ることで心理的な痛みを軽減しようとする現象も見られる。これは感情をコントロールする力が低下しているときに顕著である。このような行動は情動の転移とも関連し、本来の不満の原因に対処できない場合、その感情を弱者や関係のない他人に向けることが起こるとされる。

● トヨタだけが違う?

 日本型組織にはイノベーションが欠けているという批判に対して、トヨタを例外(製品開発において)として挙げる意見がしばしば見られる。私自身も以前、トヨタについて書いたことがある。同社には新製品開発を含むカイゼンや「なぜ」を問う文化など、イノベーションにつながる一連のメカニズムが確かに存在している。

 ただし、それらのメカニズムは「開発・製造現場」という特定の職能領域に限定されている。一方で、哲学には枠組みというものが存在しない。「イノベーション」という概念は、単なる技術革新にとどまらず、広義的には自由な発想、批判的思考、新たなアイデアや創造性を包括するものだ。

 しかし、トヨタ社内がそのレベルで自由でオープンな環境になっているかと言えば、私の観察ではそうではない。2000年2月、私はトヨタから招かれ、名古屋で500名以上の幹部や社員の前で講演を行い、その後もしばらくオンライン勉強会を続けた。この経験を通じて得た結論がそれである。

 豊田章男元社長が、自社の組織に対して「いつまでも変われない」と苛立ちや怒りを抱えていたのも、おそらくこの問題に起因しているのだろう。章男氏自身は、破壊と創造を伴う偉大なイノベーターであった。しかし、トヨタという巨大組織の構造に圧倒され、ついに「トランプ型」のリーダーシップを発揮するには至らなかったのである。

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