E&Oホテル(3)~海が遠くへと消える日

<前回>

 E&Oホテルのシービュー客室からは、一面と海を眺望する。このホテルは、すぐ海の傍に立てられている。海との間には砂浜や岩場のようなものは一切ない。海とのこの至近距離がホテルの売りでもある。

 しかし、すべてが歴史となりつつある。E&Oホテル前の海では、埋め立て工事が騒音やほこりを立てながら進んでいる。街の地図を広げると、淡いグレー色で、将来に出来上がる広大な埋立地が表示されている。高速道路がちょうどホテルの前の埋立地を横切るようにカーブしている。

88705_288705b_2埋め立てが進むE&Oホテル前の海辺

 静かでリズミカルな波の音に耳を傾けていると、それが将来、車のエンジン音に変わるのをどうしても想像できない。いや、脳が本能的に想像を拒否している。イマジネーションは恐怖と苦痛で萎んでしまっている。

 海がそぐそこにあってのE&Oホテル。海がE&Oから遠ざかれば、E&OはE&Oではなくなる。空気が変質し、もう私が恋する古い館ではなくなる。

 巨大な騒音を立てながら、杭が1本2本と、海に打ち込まれる。イエス・キリストの手足に打ちつけられた釘のように、杭が深く海に打ち込まれてゆく。溢れる海水の白い泡がまるでイエス・キリストの躯体から流れる鮮血のように痛々しく、私の心が引き裂かれてゆく。

88705_388705b_3ペナン・ジョージタウンの旧市街地

 埋立地には、ファーストフード店ができるだろう、量産された土産を売りさばくショップができるだろう、高級リゾートマンションができるだろう、企業や不動産の所有者がより大きな利益を手に入れるだろう、雇用も創出するだろう・・・。そして、海に打ち込まれた杭が目に触れることもなくなり、足の下がもともと海だったことも忘れ去られ、ただひたすら現代社会の発展、我が春を謳歌する。

 キリストの教義では、イエス・キリストが人類をその罪から救うために身代わりに磔になったものとされている。人類は絶えず罪を犯しつつも、その罪はいつまでもイエス・キリストによって身代わりに償われるのだろうか。

88705_4ペナン・ジョージタウンの旧市街地

 人類は海を奪って住める陸地を拡張する一方、海が人類の住めない極地を奪っている(温暖化の進行で、北極や南極の海氷や陸氷が減少している)。

 「発展」という正義は揺るぎないものだ。ペナンという古い街は発展の渦中で歓呼しているのか、それとも悲鳴しているのか、知る術がない。一つだけ確実なことは、E&Oホテルから海が遠ざかり、消える日はそう遠くない将来にやってくることだ。そんなE&Oホテルにはもう二度と泊まることはないだろう。と思うと、私はとても悲しくなった。

 ペナンの空は今日もスコール前の暗雲が漂っている。

<終わり>