野武士ジェネラリストになれ!頑張っても幸せになれない日本人

 頑張ってください。頑張ります。

 日本人がよく一番口にする言葉だ。頑張れば必ず良いことがある。頑張れば必ず幸せになる。そう信じている日本人にとって、「頑張り」は紛れもない善である。

 でも、頑張ったけれど、良いことが起きなかった、幸せにもなれなかった。頑張りは、本当に報いられるか?その保証が失われた時代になった。さて、どうしますか。頑張らなくなるか、ダメでも頑張ってみるか。頑張らなければ、ダメという結果にしかならない。頑張れば、1%の成功の可能性くらいはあるだろう。

 問題は、「頑張り方」だ。昔は、どう頑張ろうと、頑張りさえすれば、日本人誰もがそこそこの幸せを手に入れた。いまは違う。頑張り方によって結果が違ってくる。頑張り方を、頑張って研究しなければならなくなった。

 自分はある仕事しかできない、あるいはある仕事しかやりたくない。それはそれでプロ性といっていいが、問題はその仕事は顧客にどのような価値を生み出すかだ。そして、市場が目まぐるしく変わる。自分の専門性や得意分野は一夜にして価値が暴落することも珍しくない世の中だ。

 生きる力、生き延びる力、サバイバルの力、このような力を持たないと、今の時代ではいつどん底に転落するか分からない。

 「年収200万円時代」といわれる日本。ワーキングプアだから、気力を失う。すると、間違いなくプアになる。問題は「ワーキング」ではなく、その先の結果だ。「ワーキング」イコール「頑張り」、イコール「善」で、この世の中は善が報いられないと考えると、脱力感でやる気を失う。それはロジックの間違いだ。

 世の中は確かに良い世の中とは言い難い。けれど、そればっかり文句を言っても何も変わらない。物事を変える方法は、二つしかない。一つは他人を変えること、もう一つは自分を変えること。どっちが楽か、目に見えている。自分を変えようではないか。

 いや、でも、こうだから、ああだから、いまできないんだよ。という人が多い。それは結局自分を変えないための口実にしかならない。いま、できることは何か、すぐに出来ることは何か、些細なことでも大きなことでも、すぐにアクションを起こす。

 日本人は、最近「NATO」といわれている。「No Action, Talk Only」。これでは、愚痴を言い続けるしかない。いまでも幸せになれない。

 野武士になることだ。野武士のジェネラリストになることだ。