草食無縁宣言、ミャンマーの夢とロマン

 日本と中国両方のAmazonでミャンマー関係の書籍を9冊調達して読破に取り組んでいるが、悪戦苦闘中。半分がミャンマー近代史、あとはアウンサンスーチー関連。ミャンマー事業のための詰め込み勉強だ。

 某友人の指摘の通り、40代後半の人間が新しいものを勉強しようとすると、それは大変なことだ。中国の仕事を長くやっていると、ある程度のベースができているので、上積みやアップデートは比較的に楽だが、ミャンマーはまったく新しい分野だ。しかも、行ったこともない。

 「えっ?ミャンマー行ったことないの」、驚く友人は一人や二人だけではない。「行ったこともないのに、ミャンマー事業を始めるなんて、無謀じゃないか・・・」

92102_2(写真:Lonelyplanet)

 コンサルは論理的な世界だ。新事業には、周到な事前調査が必要で、また論理的な結論付けも欠かせない。事前調査に先立って、まず進出宣言するのはとんでもない無謀な決断といえるだろう。それは百も承知で、その決断には一つ理由がある――。宣言すれば、逃げ道がなくなる。逃げ道を断ってしまえば、逃げられなくなる。

 私は生身の人間で、未知への恐怖心や挑戦に対する保身的本能の持ち主でもある。既得利益にしがみつこうとも思っている。1月のミャンマー視察は怖いもの見たさもあっての視察である以上、帰りに、「あ~、やっぱりミャンマーはやめよう」という可能性がある。いや、むしろその可能性が大きい。

 このような自分の恐怖心を制圧する唯一の方法は、「ミャンマー進出宣言」である。宣言にいたるまでの1週間は葛藤に満ちた1週間だった。こっそりとミャンマーを見てきて、ダメならそこでやめる。それが一番無難だ・・・。このように、二つの自分が自分の中で戦った。

 自分の敵は自分だ。人間の恐怖心は失敗を恐れるところからきている。失敗すると、金銭的なロスとメンツの喪失という二つ大きなダメージが待っているのだ。それが恐ろしい。そこで、二つの対処法を考えた。

 まず、金銭的なロスについて、零細企業である以上長く粘ることができないため、2年という時間制限を設ける。成功の見込みがなければ、会社の屋台骨がぐらつくまでに撤収する。投下した資本はどぶに捨てたもの(経済学的に、「埋没費用」という)としてもいいが、逆に、私はコンサルタントだから、失敗データ自身が貴重な資産となる。いや、それだけではない。「ミャンマー事業失敗事例セミナー」を大々的にやって、また、失敗談の本も出版すれば、受講料や印税が少しでも損失の穴埋めに充てられるし、世の中の役にも立つ。

 次に、メンツの問題。企業は進出のとき大々的に宣伝するが、撤退となると穴があったら入りたいくらい肩身が狭い。いまの日本は、失敗に対する寛容が失われているから、人々が前に進まず、社会が停滞する。リスクはあたかも悪者のように扱われ、リスクに絡んだ不作為が正当化されている。これに真っ向から対決を仕掛ける私自分はまず、メンツを捨てる覚悟が必要だ。どんな事業でも成功と失敗がある。私も失敗する可能性は十分にある。失敗したら、堂々と失敗を認める。そこで私の失敗で顧客を失うことを親切に心配してくれる方もおられるが、その可能性もあるだろう。逆に失敗から成功を生み出す新たかな源泉を得たことで、新たな顧客が生まれるだろう。

 ここまで考えると、苦悩が快楽に転じ、恐怖が勇気になる。

 「夢を持て、でかければでかいほどいい。とにかく夢を持て。私は、事あるごとに何度もそう述べている。大風呂敷を広げておさまりがつかなくなってみろ、やらざるを得なくなるではないか。夢を持てば燃えられる。燃えられればどん底にも耐えられる。変にひねくれることもない」

 アントニオ猪木の言葉だ。古臭いセリフだが「夢とロマン」、そんな私は「草食」に無縁だ。