いいね、いいね、いろんないいね

 私は、2008年頃にFacebook開設してから、数年間使わずに放置してきた。最近2~3か月、いろんな理由で復活させてみると、確かに便利なツールだ。ただ、ここのところ同時に一種の危機感を持ち始めた。

 Facebook依存中毒症になるのではないかと。その前兆としては、1日あたりの使用時間の増加である。最初1日5分ほどの使用時間が最近15~20分強になった。2か月で、友達が30名から120名ほどに増えたが、正直、即答で顔と名前が一致するのは半分程度。Facebookの本当の意味はどこにあるのだろうか。

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 フィードの閲覧で有用な情報、面白い情報が入ることもあるが、情報のフィルタリングに時間がかかりすぎる。人それぞれの嗜好があって、まったく趣味の違う話も転がっている。グルメ、自動車、旅行、料理、音楽、仕事、スポーツジム、ゴルフ、格闘技、外国生活、インテリア、子育て・・・、多種多様な趣味や生活があるわけで、全部が全部で読みたいと思わない。もちろん、フィードの非表示もできるが、せっかくの友達という義務感に駆られ、ついつい目を通してしまうのである。

 次に悩ましい問題は、友達の投稿に「いいね」を押すかどうかである。せっかく書いたもの、せっかく撮った写真、「いいね」を押さないと申し訳ないような気がして、ついつい「義理いいね」を押してしまうこともあった。後から考えてみると、特に好きでもない内容や写真に「いいね」を押すのは逆にその方に失礼じゃないかと、最近やはり本当に自分がいいと思ったものにしか「いいね」を押さなくなった。

 「義理いいね」以外の「本気いいね」は、一種の価値判断、十人十色といわれるほど世の中には多様な価値観が溢れている。それも面白いことだ。

 Facebookのもう一つの良い機能はいうまでもなく、「友達リクエスト」機能。ルールとして一応知っている人にしかリクエストできないことになっているが、私の場合、知らない人にもリクエストしている。たとえば、マレーシアやミャンマーといった知らない土地に在住の方にリクエストして、「すみませんが、私はこういうもので、現地の情報を知りたいので、友達になってもらえないか」と、それで承認してもらい友達になったり、あるいは無視されたりする。

 一番感謝しなければいけないのは、Facebookのおかげで、長年連絡を失った友人を数人も見つけたことだ。特に、90年代ロイター上海駐在時代の上司だったCさんとはFacebookで連絡が取れ、彼がいまクアラルンプールに住んでいることで、実は来週木曜日、私がKL出張中に再会することになっている。

 ということで、Facebookはなかなか便利なツールだが、中毒だけはよくないので、これからも1日の使用時間と頻度に制限を決めて使っていきたいと思う。