新居に入ってまもなく2年。庭づくりを始めた当初は、まだ生命の気配に乏しく、静けさばかりが漂っていた。しかし、木々を植え、緑を重ねるうちに、環境はゆっくりと息を吹き返し始めた。ある朝、初めて聞く鳥のさえずりが庭に響き、それがすべての始まりとなった。
木々の多寡は鳥の多寡に直結する。棲みか・餌場・避難所を提供するという意味で、木は鳥にとって生存の基盤である。ゆえに、木が増えれば鳥はやってくる。これは単なる傾向ではなく、明確な因果関係である。
しかもそれは単線的な関係ではない。鳥が来れば、植物の種が運ばれ、庭の多様性はさらに高まる。昆虫のバランスも調整され、生態系全体が安定し始める。こうして庭は、静的な空間から動的な生態システムへと変貌する。一本の木が引き金となって始まるこの変化は、連鎖的で、自己増幅的で、そして美しい。
明日、世界が滅びるとしても、今日、君はリンゴの木を植える。――開高健
明日がどうなるかなど、誰にも分からない。あるのかないのか、それすら不確かである。それでも、今日という「確かな一日」は、目の前にある。その今日をどう生きるか。その選択が、私たちに許された唯一の自由であり、責任である。
木を植えるとは、未来に対する祈りであり、同時に今日という瞬間を全うする覚悟でもある。たとえそれが小さな行為であっても、その行為は時を超え、空間を超えて連鎖を生む。やがて庭を森に変え、鳥を呼び、命を育む場へと広がっていく。
だから、今日も木を植える。世界がどうあろうと…。