煙ムンムンの寿司カウンターで考える価値観の多様性

 昨日、上海の日本料理A店の寿司カウンターでは、左右二組の喫煙者の挟み撃ちで散々やられた。特に左側の中国人男性客は1本1本とひっきりなしに吸い続ける。口内に溜めこんで煙を一気に勢いよく押し出すもので、迫力が抜群。煙が私の領空に侵入するばかりではなく、カウンター越しに料理人や寿司ネタにも直撃する。さらに、気がつくと、長旅する煙が濃度を低下しながらも、開閉中の寿司ネタケースにまで到達している。

 寿司カウンターの場合、テーブル席と違って、客同士の間隔が小さく、煙の影響が甚大だ。それに寿司ネタの香りも煙の被害者になる。

 このA店では寿司カウンターは禁煙ではない。灰皿が置かれる以上、煙草を吸うのは違反ではない。いくら私が嫌がっても文句を言える立場ではない。最終的に早々と〆して帰ることにするしかなかった。せっかくの美味しい料理が台無し。

 禁止(他律)ではないから、あとは客の素質やマナー(自律)に頼るしかない。たとえ禁煙でなくても、他の客や料理・食材のことを考えて煙草を慎んだり、あるいはせいぜい一言断ったりすると状況が変わってくるだろう。ただ昨日の場合、左の中国人客グループも、右の日本人男性と小姐同伴組もどうやらそのような客ではなさそうだった。

 煙にやられると料理が不味くなる客もいれば、料理よりも煙草が重要な客もおり、あるいは料理よりも小姐を口説くことが目的だったりする客もいる。要は料理店には、料理を目的として来店する客とそうではない客が共存している。

 店にとってみれば、なるべくたくさんの客が来た方がいい。寿司カウンターに灰皿を置くのも店の方針なので、他所者として口出しする立場にない。私の持論だが、「人を変えるよりも、自分を変えたほうが効率よい」

 A店の店主もこのブログを見てくれているようだが、敢えてここで書かせてもらった。彼のせいでも何でもない。店も同じ、客を変えることができない。だが、店は店自身を変えることができる。変える、変えない。正解、不正解。相対論の次元ではこのような区分は存在しない。選択というのは、価値観の表れである。結局、すべて当事者の選択で完結する。

 お店や企業の場合、頑固おやじタイプの「AかB」型と利益最大化タイプの「AとB」型がある。私自身がむしろ前者で、合わない客を追い出すタイプだが、大多数の経営者は後者で、多目的の客を如何に最大限に平和共存させることを考えていると思う。結果的に、客層が特定していくことに変わりがない。選択は業者、客がともにしているからである。