● ボスの歓心を買う?
中国の薛剣駐大阪総領事が、台湾有事に関する高市早苗首相の発言に関し「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」とXに投稿したことを、石平参院議員が厳しく批判した――。一線越えの暴言であり、日本政府の弱腰がそれを助長し、薛氏は国外追放すべきであり、国民運動としてそれを求めるべきだと。
また石平氏は、薛が「ボス(習近平)の歓心を買いたいという思惑があった」と、その心理を読んだ。だが思うに、これはまったく幼稚な読みである。一外交官が自らのキャリアを賭けてまで、単に上司の歓心を買うというのは、国際政治の現場を知らぬ想像にすぎない。通常、外交官がSNSで首脳侮辱のような投稿をすれば、即刻更迭か懲戒対象となる。それを承知のうえで発言したならば、個人の逸脱ではなく、体制的メッセージと読むべきである。
つまり薛の投稿は、「外交官の自由発言」ではなく、「中国政府が公式声明としては言えない言葉を、あえて「個人の口」を通じて放った政治的心理戦」である。繰り返すが、「習近平の歓心」云々という読みは、あまりに日本的な「上司忖度文化」から出た想像にすぎない。中国の政治外交ははるかに組織的・合目的的であり、薛剣ほどの外交官が感情で行動するはずがない。
● どっちに転んでも日本が負け
日本が強く抗議すれば、中国は「日本が過剰反応している」として、台湾問題を拡張し、「沖縄・琉球」を連想させる新たな議題を仕掛ける。一方で、何も反応しなければ、日本政府の無力と対外政策の空洞化を、国際社会に露呈する。つまり、これは「詰み」を前提にした政治心理戦なのである。
この種の挑発は「勝つため」ではなく、「相手をどう動かしても損をさせる」ための手段だ。薛は、おそらくその目的を完全に理解して行動している。
日本側の政治はあまりにも未熟である。台湾問題を「外交政策」としてではなく、「国内政治の支持率稼ぎ」に利用した時点で、日本はすでに外交ではなく演出をしていた。高市の発言は「台湾を守る」という美辞麗句の背後に、内政アピールが透けている。つまり、彼女は「国内向けの勇ましさ」で発言し、中国はそれを「国際的挑発」として受け取った。
外交の土俵に乗った瞬間、国内演出は戦略的失点に変わる。中国がこの事件を利用して「琉球帰属問題」に触れる可能性は十分にある。彼らは台湾統一を正当化する際に「歴史的領有権」を論拠にしており、琉球も同じ冊封体制の文脈で語れる。日本が「台湾は民主主義国家」と主張すれば、中国は「琉球もかつては独立的政治体で、明朝・清朝に朝貢していた」と言い返すだろう。つまり、中国は歴史カードと地政学カードを一挙に切れる場面を待っているのである。
● 内政問題に首を突っ込むな
中国にとって台湾問題は「外交」でも「国際問題」でもなく、内政問題=内戦の未完了状態である。したがって、日本や米国が台湾を「国家」として扱い、軍事的・政治的に関与すれば、それは国際法上の「第三国による内戦介入」として認識される。これが中国の視点であり、論理的にも完全に整合している。
中国政府の法的立場は1949年の中華人民共和国建国以来、一貫して「台湾は中国の一部」である。この立場のもとでは、台湾との統一は国内の「未完の主権回復」であり、内戦の終結行為と位置づけられる。したがって、日本が台湾有事に軍事支援を行えば、中国法的には「他国による国家主権への武力干渉」として扱われる。
日本政府は1972年の日中共同声明で「台湾は中国の一部」とする立場を確認している。ゆえに、台湾防衛に直接関与すれば、自ら署名した外交文書と矛盾する。つまり、台湾有事で自衛隊が出動すれば、それは「米国の代理戦争」である以前に、自国の条約的整合性の崩壊を意味する。
中国は軍事衝突よりも「合法性の戦争」で勝つことを狙っている。もし日本が台湾に軍事的関与をすれば、中国は「日本が内戦に介入した」として国際社会で非難し、自らの統一行為を「主権回復」として正当化できる。この論理戦において、日本側はすでに劣勢である。
日本の政治家は外交を「発言」だと思っているが、中国は外交を「心理構造の操作」だと理解している。薛剣の投稿は、言葉の暴力ではなく、相手の反応を観察する政治実験である。高市が挑発し、日本政府が反応した時点で、北京の作戦は成功した。
台湾問題とは、中国にとって「統一の未完」であり、日本にとって「国際法的トラップ」である。感情で反応すれば、中国は琉球問題を含む「歴史の戦場」へと舞台を拡張する。
――これが、外交を心理戦として設計する国家と、外交を演説として消費する国家との差である。
● 「汚い首を斬ってやる」発言の補正
中国総領事の「汚い首を斬ってやる」発言は、確かに過激で挑発的である。しかし、表層的な暴言としてではなく、政治言語の構造として読めば、そこには明確なシグナルが埋め込まれている。
「内政に首を突っ込まれたら、その首を切るしかない」――これは中国にとっての自明の論理である。台湾問題は内戦の延長線上にあり、他国の関与は「第三国による内戦介入」である。したがって、「首を切る」という比喩は、外交的抑止の言語にすぎない。
ただし、「汚い首」という表現が余分であった。あれが「美しい首」であっても、切らねばならない。それは「敵意」ではなく、「主権防衛の機能」を示すものだ。つまり、「切る」という行為が目的ではなく、「切らざるを得ない状況を避けるための警告」なのである。
私ならこう補足する――「表現が不適切であった点についてはお詫びする。ただ、我々が伝えたかったのは、内政問題への介入は戦争を招くほど重大なことだという警告である。だからこそ、首を切らずに済むように、今、言葉で伝えているのだ」
これならば、威嚇ではなく抑止のための言語戦になる。外交とは戦争を避けるための攻撃的対話であり、過剰な言葉もまた政治的メッセージの一部である。要するに、こう言っているに等しい。「総領事の言葉が野蛮に聞こえたのは、外交の比喩文法を理解しない日本側のリテラシーの問題でもある」。つまり、言葉の粗暴さよりも、それを発する文脈を読む力の欠如こそが、外交上の敗北なのである。





