偽右と偽左の二重酔いを超えて、国家利益という唯一の基準

● 偽右と偽左は同類である

 私は、偽左をも偽右同様に批判する。偽右も偽左も自己承認欲、形が違っても中身は同じである。

【某読者書き込み】
 (高市発言の一件で)中国人の面子理論により自分で自分を縛り続けると最終的にミサイルが飛んでこないでしょうか。このまま面子を潰し続けると国内の反乱分子を抑えつけられなくなり、強行手段を取る可能性があると思います

【立花コメント】
 可能性は、ない。中国人は、戦わずして勝つ――孫子の兵法。確かにあなたの懸念はもっともらしく聞こえる。しかし、中国国内の反乱分子が面子問題で暴発するというのは、典型的な偽左の恐怖物語だ。現実の中国政治は、世界でも最も統制が効いている部類で、面子の問題で政策暴走する構造ではない。

 中国が最も恐れるのは外部ではなく、経済と統治制度の安定であり、外交の面子遊びで戦争を始める合理性はゼロだ。むしろ日本の極端発言で一番得をしているのは、中国ではなく、中国と静かに取引を進めているアメリカである。

 偽右は勇ましさで酔い、偽左は恐怖で酔う。しかし、どちらの酔いも国益にならない。必要なのは、酔わずに現実を読むことだけだ。

● 偽左の恐怖ビジネスという構造

 『意固地になって「台湾有事」発言を撤回できない高市首相の“暴走”に要注意! この先にある「総選挙」からの「徴兵制」という悲劇 古賀茂明』(2025年12月2日AERA)――このような論説は典型的な偽左である。

 徴兵制、戦争、破滅、この三点セットを並べて恐怖を煽ることで、自分が警鐘を鳴らす善人であり、知的優位に立っているという快感を得るタイプだ。偽右が「勇敢酒」で酔うなら、偽左は「恐怖酒」で酔う。飲む酒の銘柄が違っても、酔い方は一緒である。

 そもそも現在の日本で徴兵制は成立しない。徴兵制を実施する政治家は票を失い、政治的に自殺する。高市の暴走?あり得ない。高市は踊りの演技であり、走りの競技ではない。

 結論として、これは政治分析ではなく恐怖ビジネスにすぎない。偽右の勇ましさと偽左の恐怖は対になっており、どちらも感情の消費であって国家戦略ではない。

 偽右=やれやれ!中国に毅然と喧嘩を売ろう。
 偽左=怖い怖い!ミサイルを撃ち込まれ戦争になる。

 どちらも実利も構造も見ず、脊髄反射で快感を得て、同じ記号を振りかざす同類同士で自己承認を回し合っているだけだ。結局、この二つのグループは同じ穴のムジナである。

● 国家利益だけを基準にする立場

 私は保守基調ではあるが、左右の分類そのものに興味がない。国家利益という目的に照らせば、親中も反中も親米も反米も、すべて手段でしかない。状況に応じて戦略的に使い分ければよいだけである。

 この立場に立つと、偽右にも偽左にも受け入れられない。そもそも、そのどちらかに所属すること自体に意味がない。さらに言えば、ほとんどの偽右と偽左は国益に無関心であり、議論に必要な前提知識も欠いている。はっきり言おう。彼らの自己承認追求という生物学的行動は尊重する。しかし政治的には見下している。理由は単純で、彼らの営みは政治の領域に達していないからだ。

 そして国家指導者とは、本来その国の国益のために動く存在であればよい指導者であり、私はその姿勢を尊敬する。どの国であっても、この原理は変わらない。そういう意味で私は習近平やプーチンを高く評価している。彼らは少なくとも、自国の国益のために行動する指導者だからだ。

 民主主義とは、本来国民が国家権力を監督し、批判する仕組みである。ただし前提がある。政治、外交、経済、そして国益の構造を理解していること。残念ながら、そこが決定的に欠けている。外交の損益計算も読めず、相手国の戦略構造も掴めず、感情だけで偽右・偽左的に騒ぎ立てる。

 監督どころか、試合のルールすら知らない観客が、ピッチに向かって好き放題ヤジを飛ばしているようなものだ。これで国民が政治を監視しているなど、笑わせないでほしい。無理なのだ。構造を理解しない人々に、監視も批判もできるはずがない。言いにくいが、ここははっきり言う。愚民に民主主義の高度なタスクは荷が重い。

● 戦争の可否と国家利益の計算

 私は条件付き戦争容認者である。戦争を好むわけではない。しかし国家損害が臨界点を超え、他の手段では回復不能であり、戦争によって損害挽回と利益回復の合理的見込みがあり、勝算が成立するなら、その戦争は政治的に正当化される。戦争を道徳や感情で語っても、国家利益は守れない。

 歴史を見れば、当てはまる戦争と外れた戦争がある――。

 日本の太平洋戦争は自滅的であり、損害回復の見込みは最初からゼロだった。ドイツ帝国の戦争も同じで、国力と地政学を完全に誤った。アメリカのアフガン戦争も成功要件を欠き、国家利益の回収どころか消耗戦に堕した。これらはいずれも私の条件から外れる。

 逆に、中国の朝鮮戦争は条件に合致する。国家存立の臨界点を越える脅威を前に、戦争によって戦略的空間の確保と国際的地位の回復を実現した。ロシアのウクライナ戦争も同様で、NATOの東方拡大という臨界点超えに対して、戦略的緩衝地帯の維持という国家利益の核心が動機になっている。是非や好悪ではなく、国益の構造として理解すべき領域だ。

 アメリカは建国以来250年、戦争していなかったのは数年しかない。必要なときに国家利益のための戦争をためらわなかったから、覇権を維持できた。

 私は好戦的ではない。平和主義でもない。ただ一つの基準で判断する。国家利益が最大化されるかどうか。戦争は政治の最終手段であり、条件次第で容認される選択肢にすぎない。

 石破茂前首相は11月26日、講演で「悪化した日中関係について中国との関係なくして我が国は成り立つのか」と述べたところで、またもや叩かれた。石破氏に人気がないのは、本当のことを言うからだ。本当のことを聞きたくないのは、大衆が愚民であるからだ。石破氏を引きずり下ろしたのは、愚民たちである。愚民が不幸になるのは自業自得だ。

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