資本主義崩壊後の世界、解答を探し続ける

 フィリピン人メイドの悲惨物語を書いて、読者の方からコメントをいただいた。

 最後におっしゃったこと、心を突き刺される――。「世界的な経済格差を容認している私たちに、その縮図を非難する権利があるのか」。その通りである。私たち一人ひとりがある意味でこの種のメカニズムに加担している。もちろん、私自身もその一人だ。とっても恥ずかしくて頭が上がらない。「すみません」という言葉しか出てこない。

 資本主義から生まれる経済格差。その資本主義の本質をマルクスに指摘されて2世紀近く経ったが、共産主義が試行錯誤の末地球上のほとんどの国家から駆除されたほか、何ら進展もない。日本の高度成長やバブル期の終結、殊にリーマン・ショックの余韻を受けて反資本主義の声が再び上がった。「資本主義の崩壊」を唱える書籍も売れ始めたところ、私も一応何冊か読んでみたのだが、資本主義崩壊後の世界について実現可能で、明確なビジョンを打ち出した著作には残念ながら出会うことができなかった。

 いまだにヒントが見つからないまま、解答を探し続けている。

 

 

コメント: 資本主義崩壊後の世界、解答を探し続ける

  1. 資本主義の問題とは離れますが、立花先生に質問があります。立花先生は、常々、民主主義の機会均等について語られています。貧乏な人が現在の社会に不満があるなら、選挙で自分たちの意見を代表してくれる政治家を選べば良いと。

    しかし、金持ちは政治家を籠絡することができます。貧乏な人間で高潔な人間というのは存在しますが、そういう人はお金の誘惑への免疫が低い、もしくは貧乏だからこそ高潔であれたということが大半です。従って、貧乏人がいくら自分たちの代表を選んだところで(そもそも高潔な人間自体が少ないですし)、大半を金持ちに籠絡されてしまって全く影響力を持ちえません。

    本当に民主主義で、機会の均等というのは実現可能なのでしょうか?

    1.  お答えします。民主主義は絶対的、完璧な制度ではありません。ご指摘の事実は確かに存在すると思います。いや、ご指摘されていないこと、もっと酷いこともたくさんありますよ。だから、So What?

       民主主義よりもさらに完璧度の高い社会制度があれば、私は間違いなくそれに傾倒します。本記事もこの話をしています。私は職業柄コンサルタント、仕事上では、存在しえない理想的な「最善」よりも相対的実現可能な「次善」を求める、リアリズムが私のモットーです。私が企業に提案した問題の解決方法や制度の原案が批判されることもあります。なぜなら、「最善」ではなく「次善」だからです。批判は大変結構です。それと一緒に、実現可能でもっといい解決法を提示してください。私の「次善」よりもBetterがあれば、そのBetterが「次善」になり、私の提案は「次々善」として否定されます。ぜひ、民主主義制度よりBetterな制度を知りたいです。ご存じなら、ぜひ教えてください。

      1. 私が質問で確認したかったのは、民主主義に一層の機会均等を実現する力があるのか、それとも資本主義の必然にともなう格差拡大に従って、機会均等がどんどん損なわれていくのかということでした。(民主主義と共産主義等の比較ではありません)。直接的な回答は頂けませんでしたが、現状が続く限りにおいては、機会均等は失われるということだと受け止めました。つまり、格差を是正する力は現状では見当たらないということですね。

        私は民主主義に絶望しているわけではありません。資本主義と民主主義の実現は、その時代の人の意識や科学技術が密接に結びついています。すでにネット選挙が始まりつつあることから、インターネットが新しい民主主義の生みの親になる可能性もあります。

        格差が経済に活力を生むとされ、近年格差が肯定的にとられる動きが続いてきました。しかし、経済に活力を生むのに、それほどまでの格差が必要なのか、月10万円しか稼げない人と月1000万円が稼げる人の間にある差は、本当に社会に対する貢献度の違いなのか?そこまでの差を生む社会の制度は、何か間違ってやしないのかと疑問に思っている者です。

        その間違いが訂正されなければ、秋葉原事件のような事件は止まず、ISISのようなグループへ参加したり、オウムのような新興宗教への参加する若者は増え続けるのではないでしょうか。そうでなければ、国民全てにICを埋め込んで、押さえつける、それこそ共産主義国家と同様な手法をとる民主主義となってしまうのではないかと恐れます。

        民主主義は滅びるのか、生まれ変わるのか・・・。生まれ変わると期待したいですね。

        1.  ストレートに私の観点を申し上げますと、格差は拡大している、今後も拡大していくだろうと私は見ています。。特に日本はまだ序の口。平等的コミュニティ志向の価値観を持つ日本人にとって耐えがたいものでしょうが、現実は変わりません。

           格差の善悪について、論ずることが難しい。月収10万円と月収1000万円、ないし月給1億円、社会への貢献度(バリュー)については資本主義の市場経済下ではあくまでも市場受容価格(プライス)という尺度で反映される。あえて善悪論すると、その10万円や1000万円あるいは1億円が生まれた源泉や過程に機会均等であったかどうかを追及することになります。

           民主主義や資本主義といったコンセプト自身に限っていえば、格差修復の機能がそれほど発達しているわけではありません。なぜなら、格差の善悪を峻別するという前提が必要だからです。がん細胞狙い撃ちできる放射線を発明するのと同じくらい難しいのではないかと思います。ノーベル賞3回分くらい値する。

           「民主主義が生まれ変わると期待したい」、お気持ちは分かります。では、生まれ変われなかったらどうしますか。期待→失望→絶望→?。この「?」にはいろんな答えがありますが、概ね3通りではないかと思います。

           (1)不変型~不満をいいながらも我慢、忍耐する。
           (2)変化型(他者変革型)~社会に反抗しこれを変えようと社会運動家を志し行動を起こす。
           (3)変化型(自己変革型)~自分を変えて社会に順応していく。

           (2)が一歩間違えるとおっしゃる通りISISやオウムに参加したり、反社会的道を歩み出すことも多々ありましょう。もちろん現実的に(1)か(3)を選択する人が大多数ではないかと思います。このような選択権を付与されているのも、民主主義の優越性ではないでしょうか。もちろん(2)の反社会的畸形児を生み出すことは民主主義や資本主義の副作用です。

           

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