上海、連日の会食で飲み過ぎ気味。
美味しい食べ物が目の前にあるとついつい酒に手を出してしまう。意志力の完敗だ。上海はやはり美味しいものが多い。初駐在の1994年を思い出すと、あのとき、本当に上海の食生活が貧弱だった。市内に日本料理店は二三十軒あるかないかの時代だった。
20年の変化は大きい。国際大都市に変身し、美食美酒が溢れる街になった。ただ、これに比べてサービス品質の向上が遅い。いやサービスに対する考え方や評価基準が違う、これが主因かもしれない。
製造業受難の時代だからこそ、サービス業の興隆が期待される。もうちょっと頑張ってほしい。
民主主義では、たとえ世間の傾向と違った意見でも、間違っていると思ったことは間違っているということが大切だと思っています。多数に臆する必要は何もありません。少数であっても、意見を述べる機会は常に保証されている。そういう意味で、立花先生のコメント欄は、民主主義を体現しているとも言えます。
さて、代表的な民主主義国家の日本では、特にサービス業において奴隷的な状態に置かれている労働者がたくさんいます。いわゆるブラック企業はサービス系に多いと言われます。
皮肉なことに、独裁国家である中国では、サービス業で奴隷的な状態にあるとスッパ抜かれることはあまりないですよね。工場はよくありますけど。
これはなぜなんでしょう?もしかして、日本では「サービスのプロ」という名のもとに対価以上の仕事を求められているからではないのでしょうか?そんな疑問をぶつけさせて頂きました。
まず、「奴隷」との本質的違いを述べました。「対価以上の仕事」であるかどうか、労使立場の相違も、各人の価値観の相違もあるのでしょう。納得できなければ辞める自由がある以上、「奴隷」とは違います。
次に、「対価」の基準を別として、もし、「対価以上の仕事を求められても応じるしかない」ことがあるとすれば、「代替性」の存在が主因の一つではないかと思います。つまり、Aさんがこの仕事をやらなければ、Bさんがすぐ現れてその仕事を引き受ける。すると、Bさんというライバルを排除するために、Aさんがそれ以上、それ以上のパローマンスや付加価値を出そうとする。これは会社ベースの競争と同じメカニズムで、労働者同士の競争で、結局商品(労働力)相場の下落、デフレを引き起こします。要するに、求められなくても対価以上の仕事をやる人も存在するということです。
「サービスに対する考え方や評価基準が違う」。全くその通りですね。中国人が日本に来て、サービスが良いといいますが、コストパフォーマンスが圧倒的にいいサービスだという意味だと思います。もし、サービスなしでさらに安くなるならば、多くの中国人がそちらを選ぶことでしょう。
深センの郊外でよく回転寿司屋さんに行くんですが、箸箱にの箸はしょっちゅう切らしているし、壁の装飾の角は埃だらけだし、お会計のときもちょっと合図したぐらいではなかなか気づいてくれないし・・・。でも、客はじゃんじゃん入っている(笑)。他の店もそのようなものだから、客もサービスに期待していないんですね。
立花先生の記事を読んで、サービスって何なのかなと思い、ネットで調べてみました。
サービスの代表的なものと言えば、ディズニーですよね。ディズニーのサービスを紹介したブログで、「ディズニーが9割アルバイトでも最高のサービスを提供できる秘密」というのが書かれていました。
・唯一の決まりごとは「ゲストをおもてなし、幸せにすること」
・スタッフの行動基準:Safety(安全)>Courtesy(礼儀正しさ)>Show(ショー)>Efficiency(効率)
う~ん。皆がディズニーに学べというわけだとは思いましたが、これだとサービスのコストはどうなのかということがよくわかりません。
それで、もう一つ別のブログで、「最高のサービスとは?」について書かれたものを読んでみました。すると、
・最高のサービスとは感動を与えるもの
・価格以上の価値を提供すること
・提供した価値が満足を超えて良い意味で
想定の範囲を超えたときにそれが「感動」になる
・100もらって100提供するのは当たり前。
これはサービスではないということ。100も
らったら120提供するつもりで相手に尽くす心
が大切。
とありました。
つまり、もらったお金よりさらに高い価値のサービスを提供することが、感動を与える
最高のサービスにつながるということなんでしょう。
でも、まだちょっと複雑な感じなので、もっとシンプルなのはないかと考えてみました。
そこで思い出したのが、マックのスマイル0円。
これはタダで笑顔がもらえる、究極のサービスとも言えそうです。
しかし、タダで他人に与えるサービスって、何なんでしょう。
お金持ちが、タダで乞食にものを与えると、慈善行為ですよね。
では、労働者がタダで提供するのは? 奴隷行為・・・ですかね?
中国の場合、外食産業に限って言えば、服務業(サービス業)は概して十分な市民権を得ているとは思えません。「低人一等」(格が一つ低い)で、サービス業はあくまで糧を得るための手段であって、サービスのプロを目指すとか、高い志を持つ人が稀ですね。
中国人にサービスのプロとは何か説明したら、「要は奴隷頭みたいなものか?」と言われそうですね。
しかし、サービスの最高のプロと最高の奴隷の違いは何なのでしょうか。
奴隷だと、語弊があるなら、最高の召使いというのはどうでしょう?
サービスの最高のプロと最高の召使いの間にやることの差はあるのでしょうか。(そういえば、昔の英国や米国を描いた小説にはよく、誇り高き召使いというのが出てきた気がします。誇り高き召使いというのは、支配者にとってもっとも都合が良い存在なのでしょうかね)。
奴隷は仕事を選択する自由も、身体の自由もない。自由のために戦う奴隷を気取って無能無為を曝け出す輩は見苦しい。因みにイギリスでは、上級者は「バトラー」と言います。「執事」です。