51歳誕生日の瞑想BGM、文化的薫陶の実用性

 10月20日、51歳誕生日。前日の19日夜は、前夜祭というよりも、偶然たまたまの日程で年一度のクラシック音楽祭典、「TOYOTA CLASSICS 2015」@クアラルンプールを鑑賞。

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 企業の文化事業は素晴らしい。トヨタ自動車の「TOYOTA CLASSICS」は 1990年に始まり、26回目を迎える今年は、ブルネイや、フィリピン、マレーシア、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアの7か国を回るアジアツアーである。

 クラシック音楽、特にオペラあたりになると、難解で貴族の趣味とか言われるが、まったく違うと思う。私自身ももちろん貴族でもなんでもないし、何より楽譜も読めない完全音痴である。それでもクラシックが好きで、毎日聴いている。

 クラシック音楽は飽きがこない。私の大好きなブラームス、ヴェートーベンの曲は恐らく数百回は聴いているだろうが、まったく飽きない。いや、むしろ聞く回数を重ねて行くと、もっともっと聴きたくなると渇望する。

 同じ曲を聴く度に異なる風景が見えたり、哲理的なものが見えてくるからだ。私は基本的に作曲背景をざっと読んでそれ以上詳しい解説を無視する主義であり、音痴でありながらも自分なりに曲を解釈する。非常に我がまま、勝手な消化形態を取っている。

 瞑想のBGMにしては少々激しいかもしれないが、であれば、瞑想のスタイルを変えればよい。クラシックBGMの瞑想から数多くのメカニズムや哲理が見えてきたり、私の仕事にも大きく貢献してくれている。そもそも癒しというよりも、クラシック音楽は私にとっていろんな意味が持たれている。

 芸術的価値や文化的薫陶と実務的効用性とは決して対立面ではない。それがクラシック音楽の素晴らしさ。今日もブラームスの4番を聴きながら仕事取組中。

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