貧富・強弱・善悪、ルサンチマンに満ちた道徳論の愚

 「抑えられるべきなのは、貧しい民衆の暴走なのか、際限のない豊かさを求める富裕層なのか」

 某読者のコメントだが、「貧=善、富=悪」や「弱=善、強=悪」というルサンチマンに満ちた表現それ自体が、衆愚政治の原点である。それはさておき、あえてこの価値観に立脚して、上記の命題を考えてみよう。

 「貧しい民衆の暴走」と「際限のない豊かさを求める富裕層」。どっちを抑えやすいだろうか。パマナやケイマン、バージン諸島、スイス・・・。まあ、世界は広い。グローバル金融のなか、金は一瞬にしてあちこちに流れるのであって、全世界全ての国が意思を統一してやれば話は別だが、それが到底できないだろう。

 1か国の中で富裕層から富を絞り出そうとすれば、待っているのが冨の流出で、自国を更なるどん底に追い込むだけである。「パナマ文書」に三木谷氏の名前が載っているくらいで、大騒ぎするのがルサンチマンにほかならない。そんなのは当たり前だ。犯罪を起こしたら逮捕する。そうでなければ、三木谷叩きしてもいいが、世界は変わらない。

 日産社長の10億円の年俸に文句をいう。これもルサンチマン。10億円は妥当だと思う。代替性の問題だ。取って代わる人がいなければ、10億円でも100億円でももらっていい。それが資本主義だ。

 「際限のない豊かさを求める」のは人間の欲求本能であって、「欲求の存在」そのものに善悪を規定する意味がない。むしろ、愚である。欲求に裏打ちされた経済人モデルこそが、経済活動における利益追及の源泉であって、今日の資本主義の基盤であると、アダム・スミスの理論を見れば明白だ。

 それで、マルクスが資本主義を否定し、共産主義を主張するわけだが、それに釣られた民衆の暴動や革命によって出来上がったのは独裁と新たな特権階級への富と権力の集中に過ぎない。昨今の民主主義が愚民のルサンチマンに乗っ取られ、選ばれたチンピラのようなリーダーがいざ権力の座につけば、欲を剥き出しにして豹変するのが時間の問題だ。人間である以上、誰にも欲求本能が埋め込まれているからだ。

 私が書いたものを読んで気に食わない、納得しない、反感する方はたーくさんいると思う。私のことを批判し、罵倒するのも一向に構わない。うちの社員にも言われたことがあるが、「もしや価値観の違うお客様がいて、立花さんのブログを見て、嫌気が差して解約してきたらどうしますか」。それは百も承知。十分に可能性がある。いや、むしろそういうケースはもう何件もあった。そのほうが良かったと思う。価値観や経営観を異にする同士が一緒にいてもいい仕事ができないから、早い段階で断念したほうがお互いのためだ。

 ルサンチマンで憤慨する時間があったら、弱者・貧困脱出のサバイバルに取り組んだほうがよほど建設的だ。世界を変えるか、自分を変えるか、それともどっちも変えずに罵り続けるか、選ぶ自由は誰にも与えられている。