1975年4月30日、1台の戦車がサイゴン市内の大統領府の正門フェンスを破り突入した。サイゴン陥落。その瞬間に、1つの国、ベトナム共和国(南ベトナム)が消滅した。享年20歳。
大統領府のフェンスを破り突入した北ベトナム軍の戦車
社員旅行で足を踏み入れたホーチミン市内の統一会堂(旧南ベトナム大統領府および官邸)。敷地内に展示される当時の北ベトナム軍のT-54戦車を眺めながら、ある課題を考えた――国家の滅び方。
統一会堂(旧南ベトナム大統領府および官邸)
北ベトナム勢力に対し、一部のメディアが習慣的に使ってきた「解放勢力」という名称にはまず、著しく私は違和感を抱く。「解放」とは、「束縛を解いて自由を与える」という意味で主観的な価値判断が強く、政治プロパガンダとして、特に共産党系には愛用されてきた。
旧大統領府・閣僚会議室
闘う双方に正義の所在を追求すること自体が難しい。片方を解放する側と断じれば、他方は束縛や弾圧する側になる。さしずめ、正義と邪悪の戦いという構図を取り入れるのが、共産主義の常套手段だ。人民のために仮想敵を作り、そこから人民を解放する大義名分を手に入れる、というメカニズムだ。
そこで、権力や富、腐敗ほど仮想敵に相応しい存在はほかにない。そうした圧政が邪悪であり、それを倒して富を人民に配分する、という共産主義の理念は多くの人民、特に貧困層から人気を集める構図も容易に想像できる。
旧大統領府・大ホール
しかし、いざいわゆる共産側や解放側が勝利してみると、旧政権が倒されても、富の再配分は決して行われない。人民のうえに出来上がるのは、新たな統治者・特権階級と新たな圧政や暴政、そして時には弾圧や貧困の広がりにほかならない。
歴史をたどってみると、当時の南ベトナムは、共産勢力のプロパガンダには最適な仮想敵の条件が揃っていたのだった。国家規模の組織の腐敗が目に余る。汚職や不正が蔓延し、軍も士気が低下し規律は米軍の介入で辛うじて維持できるほど杜撰だった。
旧大統領府・接見室
ベトナム統一後の道のりは周知のとおり、結果的に貧困との格闘が続く中、ドイモイ政策に切り替え、開放・改革といっても事実上の資本主義制度への復帰にしか選択肢がなかった。その「解放」と「開放」の歴史から、ある事実が明らかになった――。
南ベトナムの崩壊は資本主義の失敗でもなければ、北ベトナムの勝利も決して共産主義の勝利ではない。イデオロギーとは、統治者の地位を手中に収めるための一種の大義名分にほかならない。それが政治である。
旧大統領府のバルコニーから望む
共産主義は間違いなく、資本主義より素晴らしい。ただし実現できればの話だが。つまるところ、イデオロギーを超えたところ、いわゆる右や左で語るのは無意味である。そこにあるのは、「理想」と「現実」しかない。
真・善・美――。
この3者のなか、真だけが客観的存在と現実である。だが、真が往々にして悪だったり、醜だったりする。そこで、虚無の善や美を求め続ける理想主義で夢見るか、それとも真と向き合って相対的妥協を前提とする現実主義に徹するか。これがまさに永遠の課題である。