読書に旬の味は不要、無知の知から真の知を求める

<前回>

 思索以前のことで、読書の話にもう少し触れてみたい。どんな本を読むべきか。というよりも、まず読むべきではない本を特定すべきだ。
 
 自分の場合、まず、書店の店頭に平積みされている「ベストセラー」コーナーを素通りする。「ベストセラーは、自分にとって果たしてベストなのか」という問いをもったことはないか。本を選ぶための思索に耽ったことはないか。

 面白いことに、ベストセラーが店頭に平積みされるのは、せいぜい1か月か2か月。あっという間に姿を消し、代わりにまた別のベストセラーが登場する。そんなことを不審に思ったことはないか。出版業も書籍販売業もビジネスであること、これだけは忘れるべきではない。

 ベストセラーとロングセラーとは別次元である。ロングセラーというのは、恒久的に読者をもち、読者から支持を受けているものだ。それなりの理由があってのロングセラーであり、その理由を探求したうえで、購入の是非を検討したいものだ。読書は旬の味を必要としない。

 とはいえ、ロングセラーも必ずしも自分にとってのベストとは限らない。人間の一生の総時間数が決まっている。読める活字の量も限られている。それゆえに自分にとってのベストを吟味して選びたい。

 私自身の場合、ビジネス書は30代前半まで熱中していたが、大して役に立たないことを知ってからほとんど買わなくなった。さらに著名企業家の成功体験談も買わない。彼たちの成功を裏付けているのは、哲学と幸運である。

 だったら、哲学を勉強したほうが手っ取り早い。40代になり、哲学書を手に取って読み始めて10年以上の歳月が経ったが、そこはもう知恵の宝庫だということが分かった。そして、自分が無知だということも分かった。さらに、真の知への探求は、無知の知から始まるということが分かったとき、無上の喜びに包まれた。

<次回>