弁護士会の棲み分け、日弁連問題の原点に立ち返る

 産経新聞が連日、日弁連問題を取り上げている。

 この問題は語れて久しい。日弁連名義で特定の政治的主張を示し政治的声明を出すのが、目的外行為として違法だとまで主張する弁護士もいるくらいの問題だった。

 つまるところ、問題の本質は日弁連への弁護士強制加入制度である。弁護士が仕事をするために日弁連・弁護士会に加入しなければならない。これは憲法22条の「職業選択の自由」に違反するのではないだろうか。

 会の政治的主張に賛同しない弁護士には、概ね4つの選択肢がある――。1、弁護士を辞めること。2、自分の思想信条を変えること。3、異見を主張して異端視され、あるいは疎外されること。4、自分の思想信条を抑圧して黙ること、または自分の思想信条を偽ってあたかも多数派であるかのように振る舞うこと。

 実際は、4がほとんどではないだろうか。弁護士として仕事をしていくうえで、もっとも現実的な方法論だ。とても悲しい現実だ。サラリーマンなら、会社の方針に賛同しなければ、転職して別の会社で働けばいい。しかし、弁護士にとっては、職業そのものの放棄を意味する。

 弁護士は、クライアントのために最大限の権利を主張するが、いざ自分自身となると、現実的にひたすら黙って従うしかない。それは目を背けたくなるほど悲しいことだ。

 日弁連は一組織として政治的主張を表明することは大いに結構なことだ。あれこれ文句を言われないためにも、より自由に政治的意見を表明するためにも、任意加入組織にするべきだろう。あるいは弁護士団体そのものの複数化も1つの選択肢であろう。

 たとえば労働法だって、企業側に立つ弁護士と労働組合・労働者側に立つ弁護士、立場上もとより思想や信条も異なって当たり前だ。同じ同好会のような場にいて仲良しでやっていくこと自体がおかしい。

 憲法でも、改憲派、護憲派、あるいは廃憲派。いろんな観点や主張をもつ弁護士が無理してひとつ屋根の下に束ねられるよりも、棲み分けしたほうがよろしい。それぞれ組織化したほうがより団結力をもって力強く主張をぶつけ合うことができるし、国民にとってもプロ集団の議論の場が複眼的、多面的な情報源となり、より成熟した市民社会の形成に有益だ。

 たとえば、リベラル、保守、中立という3大系統の弁護士会ができて、リベラル派が最大勢力になるのであれば、それはそれで結構なことだ。もちろんその実現は大変難しい。どんな組織も競争を嫌い、独占的既得利益・利権を守りたいからだ。日弁連も例外ではないだろう。

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