我が人生に悔いなし、自由に不自由が道連れ

 7月1日(土)、脱サラ・起業17周年記念日。特に祝うべき日でもなく、長い出張を終え、ホーチミンからクアラルンプールに帰還する機内でちょっとした回顧と反省の時間をもった。

 17年間、ほぼ5つの自由を手に入れた――。時間の自由、場所の自由、金銭の自由、言論の自由、そして思考の自由。

 仕事や休みなどの時間を自分の意思で支配し、住みたいところに住み、行きたい場所へ行き、このような生活を支える経済的基盤もできた。そしてなによりも、言いたいことを言い、固定概念に縛られることなく自由な思考をもつこともほぼできたといえよう。

 これ以上の自由は存し得ず、求めるべくもない。この一刻にすぐに死んでも、「我が人生に悔いなし」と豪語し、世にもこれ以上ない、最上の幸福に恵まれた我が身である。

 ただちょうど光と影のような関係で、自由を入手するには、種々の不自由をも引き受けざるを得ない。リスクや孤独、恐怖、苦痛・・・といった類が常に道連れ。

 「道連れ」という言葉を使った以上、むしろ私はこれらの不自由を敵視していないし、なるべく素直な気持ちで不自由を受け入れるようにしている。ここまでくると、たまには不自由がなんと恩返しすらしてくれるのである。不自由から更なる自由が生まれるという不思議な現象である。

 そもそも、自由も不自由も、人間が定義するものだ。純粋たるニヒリズムよりも、私は積極的なニヒリズムに傾倒している。閉塞感漂う世界だからこそ、人間は不自由を否定するのではなく、逆にそれに価値を見出すのである。

 絶望から希望が生まれるのなら、私は望みを自ら断っていきたい。