国民的事件に興味津々たる熱論、庶民感覚と平均的民度

 乳癌で死んだキャスターやら車椅子の航空機搭乗問題やら女性政務官による公用車子供送迎疑惑やら、国民的事件になるのは何を意味するのか。

 基本的に、日本人の平均民度を示唆する問題だ。

 フィリピン南部で勢力拡大中のIS組織の動き、継続的に不穏な北朝鮮情勢、中国ブータン紛争地問題・・・。この類の国際情勢よりも、多くの日本人は身の回りの出来事にしか興味を示さない。

 メディアも商売だから、読者や視聴者の興味所在を取り上げる。需要があっての供給だ。供給にあたるメディアを非難する以前の問題で、需要の存在を看過できない。フェイスブックを見ても、興味津々たる議論が過熱化している。

 さらにその一部、ルサンチマン的な感情移入が露骨に発露されたところで、低俗さを増幅させる。この類のいわゆる国民的事件をめぐって繰り広げられる熱論からは恒久的な価値が生まれるのだろうか。

 いや、均質化それ自体が社会一般において志向される善や正義であれば、「庶民感覚」に価値が見出され、高尚や低俗たる格付けは意味をなさなくなる。

 異臭を放つ嘔吐物よりも魂の腐敗とまん延がよほどたちが悪い。

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