桜の花吹雪

 私は、音痴です。しかも、重度の音痴です。楽譜も読めません。こんな私でも、音楽が大好きなのです。ポップスではなく、オペラ、クラシック、民謡、尺八や筝(こと)など・・・、とにかく古いもの、何百年経っても変わらないものが好きで、時代に取り残された頑固な人なのです。

 テノールやソプラノ、尺八を聴きながら、イマジネーションを馳せていると、知らないうちに涙がこぼれてしまう。

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 昨日、上海コンサートで来られた西陽子さんの筝の演奏を聴いて、涙を流しました。曲は、中国でもお馴染みの「さくらさくら」。古謡を主題にした変奏曲は、実にうまく、さくらを、世界一美しい音色で表現してくれました。桜満開の景色も素晴らしいが、それよりも、曲の半ばから、花吹雪の情景を生々しく描き、涙を誘います。

 桜は、散るのが、もっとも美しい。あれだけ妖艶に輝く時もありながら、未練一つなく、一斉に散っていくことほど、美しいことはありません。花が散るというのに、桜は、まったく終わりの悲しさを感じさせてくれません。季節柄、まだ肌寒い風に乗せられ、宙に舞い上がり、何かしらのメッセージ、力強いメッセージを伝えようとする。命は絶つことがあっても、魂は違う形で伝承されていくものだ。終わりは次の始まりなのだ・・・

 「無常」(むじょう)、世界のすべてのものは消え去り、とどまることなく、常に変移している。桜は、この「無常」を、凡人でも悟れるような形にしてくれたのです。

 同じ仏教の国である日本と中国では、豊かになればなるほど、「無常」に対する理解が低下しているようです。 現世の既得利益にしがみつき、欲求を膨らませ、変化を拒む・・・ さあ、もう一度筝の美しい音色とともに、花吹雪の無常をかみ締めようではありませんか。

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 西陽子さんがこう語ります。「筝は、寿命のある楽器です。人間と同じ70年か80年の寿命があります。若い筝は、木材が水分を含んでいるので、音色に潤いがあります。年を取って行くと、だんだん水分が抜けていき、音色も乾いていきます。筝は、楽器の中でも、生きている楽器なのです」

 西さんの上海コンサートで使われた筝の年齢(とし)は分かりませんが、老いて、水分が抜けていく筝で奏でられるさくらの花吹雪景色は、どのようなものだろうか・・・ 是非、今度聴いてみたい。

 命に魂を吹き込んでおけば、命は絶つことがあっても、魂は違う形で伝承されていくものです。私たち、命ある間、一生懸命に魂を作っているのでしょうか?

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