ミニスカートのようなスピーチとは?

 「A speech should be like a miniskirt, short enough to be interesting, long enough to cover the subject」

 「スピーチとは、ミニスカート。目を引くに足る短さと、主題をカバーするに足る長さが必須条件だ」。ウィンストン・チャーチルの言葉。

 乾杯用のビールがどんどん生ぬるくなっていくのに、まだ「乾杯の音頭」が続いている。日本人のスピーチは本当につまらない。面白いスピーチはあるのだろうか。結婚式のお涙頂戴な「花嫁の手紙」は少しマシかと思ったら、パターン化されているのはやはり、プロのコーディネーターによる量産であろう。

 ミニスカートのようなスピーチがしたい。私自身も講演総時間数が2000時間を越えているが、いまだにこのバランス取りに苦闘している。

 講演には技術が必要。何よりも論理性である。「……ねばならない」「……であるべき」だけでは人は納得しない。それらを裏付ける文脈を用意し、「理」で勝負する。いわゆる修辞学の世界だ。講演には芸術も必要。聞く人を引き付けるためには、いかに共鳴を引き起こすか、「情」で勝負するところだ。

 企業の従業員を集めて、リストラの必要性を語れという、過去自己史上最難のスピーチを体験したことがある。いかに「理」にかなっていても、「情」に訴える余地は皆無。講壇に上ると靴を投げられるのではないかとぶるぶる震えながら、ふと気がつく。理にかなっていればいるほど、怒りを誘うこと。土壇場のアプローチ変更!

 その講演は最終的に失敗しなかった。その会社は結果的に、リストラせずになんとか済んだ。詳細は顧客の秘密でもあり、私の商売の秘密でもあるから、種明かしはできないが、そのスピーチはミニスカートでなかったことだけは確実だった。

 2月にも多くの講演とセミナーが待っている。ミニスカートとは、膝上何センチだろうかを考えながら、準備に取り組んでいる。