陰謀説や擬似常識の罠、2チャンネル風説から脱出せよ

 マレーシア航空17便の戦争地域上空の通過は、最短距離の飛行であって、航空会社が燃料を節約するためだ。同事件には、国家陰謀が絡んでいる・・・。

 マレーシア航空17便撃墜事件を受け、世の中はまたもや、様々な「陰謀説」が飛び交う。それは先にあった同社370便の失踪墜落事件から立て続けに発生した大事件で、世界航空史上未曽有の出来事であるだけに、いっそう「謎」の色彩が濃厚となり、それがまた「陰謀説」に恰好の材料となったようだ。

 「陰謀説」そのものを批判するわけではない。検証の積み重ねを経ることで、事実として認識される陰謀論なら問題はない。北朝鮮による日本人拉致事件とかサリン事件とかがその好例だ。ただ、検証そのものが未完だったり、あるいは反証が明らかになったりするにもかかわらず、自説の大衆娯楽的ドラマ性に固執する「陰謀説」はいかにも幼稚であろう。

 結果的に、いわゆる「陰謀説」は常識的要素、あるいはその集合体から形成されるものが多い。日航123便墜落事件から911テロ事件やケネディ暗殺の国家陰謀説、あるいはアポロの月面着陸の偽造まで、枚挙にいとまがない。陰謀論者は、その説が検証や反証により否定されても、検証や反証のねつ造性や、検証や反証過程そのもの、関わる人物や機関に陰謀が関与しているなどを主張し否定や棄却を否定する。――「そもそも、それが陰謀だ」という包括的非論理的な結論に固執し、自説に酔い痴れる。

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 よく見れば、これらのいわゆる「陰謀説」はいかにもオカルト的で、あるいは言ってみれば単なる2チャンネルの類の風説に過ぎないものだったりする。さらに、陰謀論とともに、いや陰謀論よりもっと怖いのが「通説」である。それはまさに、一般的世間で非常に認められやすい「常識」や表象、理想的概念(正論)、感情、あるいはポピュリズム的な要素から形成されるものである。たとえば、マレーシア航空17便の戦争地域上空の通過は、最短距離の飛行であって、航空会社が燃料を節約するためだというのがあたかも正論や常識であるかのように見えるのであろう。だが、これは極めて専門性の高い検証であるし、また、今後の(乗客対航空会社の)訴訟で、司法がこの検証の結果を踏まえて最終的な司法結論を出すのであろう。少なくとも、現段階において短絡的な「燃料節約」論は慎むべきだろう。

 仮設は結構だが、検証とロジックは絶対的である。検証による因果関係の判明以外、すべての「陰謀説」や「通説」はあくまでも、プロパガンダでしかない。非常時期に擬似常識的な風説の拡散が世俗社会の必然的帰結といいつつも、論理的思考回路とそれに基づく判断は、向上心ある人間が目指すべき方向であろう。

 孔子曰く「学ばざりて思うは危うき」。まさにその通りだ。

※添付写真:2014年7月21日付、マレーシア主要紙「南洋商報」掲載、MH17便専門調査報告・検証記事、世界各専門機関の現段階の検証と航空専門家コメントを根拠に、MH17便の運行や操縦上の過失を否定する記事である(もちろん最終結論ではないが)。さらに、今回の事件を受けて、マレーシア航空が発表した航空券無条件払い戻しキャンペーンについて、多くのマレーシア国民は引続き同航空を利用する理性的な判断をしているとの報道も掲載された)