私はこうして会社を辞めました(18)―強制送還危機

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(敬称略)

2196894年10月、ニュージーランド南島のクイーンズタウンにて、ロイター正社員試験合格を祝っての旅行

 人生はすべて順風満帆ではない。自由気ままな上海駐在生活を楽しみ始めた矢先に、悪い通知が来た。試用期間の「人事査定結果」、私は不合格だった。

 中国赴任後の当初3か月は、私の「試用期間」だった。それが不合格だと、会社が任意に私を解雇することができるのだ。「人事査定結果」に目を落とすと、不合格としながら、試用期間をさらに3か月延長するという「解雇猶予」の「温情処理」がなされていた。

 上海着任して3か月間、私は一本も契約を取れなかったのだった。考えてみると、まったく知らない環境に入って、すぐに契約を取れなんて無茶な話ではないか。しかも、北京に着任した私の同期の池山も同じ、契約が取れていない。彼女は「試用期間」を無事クリアしたのに、なぜ私だけが不合格なのか?あまりにも不公平ではないか!

 上司のダニエルに呼ばれる。「Tachibana-San、あなたの査定結果を出したのは、私です。池山は池山の上司の判断で、私は感知しません。あなたの上司は私だから、不満があれば、私が聞きます。3か月間のパフォーマンスは、とてもじゃないが、満足できない。あなたが着任した日に私が説明したでしょう、Show me the money。売り上げを上げてくれなければ、あなたの高い給料を誰が払うのか?あと3か月だけチャンスを与えます。ダメなら、東京に送り返します。交渉無用!」

 げっ!ひどいヤツだ。こんな冷血なヤツ、見たこともない。互いにサラリーマンじゃないか、そこまで私を崖プッチに追いやらなくても良いじゃないか。

 夕食はまったく喉を通らない。人生に大きな赤信号。あと3か月ダメなら東京に「強制送還」だ。上司を憎んでも始まらない。何とか突破口を打開しなければ。冷静になって考えてみると、ダニエルの言うことは間違っていない。顧客がつかない、売り上げが立たないのに、会社がいつまでもこれだけの給料を私に払い続けるわけには行かない。これでは、私が給料泥棒になってしまう。何とかしなければ!

 見込み顧客名簿を分類してみた。契約を一番取れそうな三社を選び、集中攻撃に決めた。まず、英語だらけのロイター商品のパンフレットを熟読し、日本企業に効きそうなエッセンスだけ抜粋して日本語の提案書を作ってみた。早速、三社を回って売り込んだ。

 私は、トステム時代に歴然とした技術職だった。営業は初体験。要領がよく分からない。いつもお客様は話を聞いてくれるのだが、契約までこぎつけられない。しかし、今回は手ごたえを感じた。早速、大手証券会社の村野証券上海事務所の日本人担当者から電話がかかってきた。本社向けの契約稟議を起こしたいので、詳細内容をさらにつめて資料をもらいたいと。

 嬉しい!私が寝ずに資料を準備し、翌朝、村野証券に届けた。

 そして、1か月後、私は村野証券の赤い印のついた契約書をダニエルの事務室に持ち込んだ。「グレート・ジョブ!」、ダニエルは私の手を痛くなるまで握り締めた。私は、目頭が熱くなった。仕事って素晴らしい。

 延長試用期間の3か月満了時に、私が立て続けに新規契約三本も上げ、文句なしのパスになった。

 「少し、一息入れたらどうだ、Tachibana-San、さあ、休暇でも取ってどっか行って来い」、ダニエルの態度が豹変した。

 私は、お言葉に甘えて、ニュージーランド行きの飛行機に乗り込んだ。ニュージーランドの空は違う色だった。

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