私はこうして会社を辞めました(21)―シェクスピア劇の台詞

<前回>
(敬称略)

 北京から電話が入った。池山だった。

 「立花さん、短い一年間でしたが、お世話になりました・・・」、あっ、来るべき時が来た。私の心が一瞬沈んだ。

 95年夏、池山がロイターを辞職、日本へ帰国することになった。私、限りなく孤独感に襲われる。日本市場を担当する池山と私二人は、色々な意味で仕事上共通の部分があって同じ陣地に立つ同志だった。彼女がいなくなると、私は孤軍奮闘の境地に陥る。

22173 95年当時初取得の中国労働ビザ、スタンプ式だった

 数日後、私が北京のトップに呼ばれる。ロイター中国総代表・統括マネージャーのロジャー・バックレー(仮名)が北京で私とミーティングを持つ。

 ロジャーは、正真正銘の英国紳士である。少々茶色を帯びた金髪、おそらくオーダーメイドで仕立てられたスーツはこれ以上なく長身に似合っている。金縁の眼鏡、ほどよく香るコロン、埃だらけの環境にいてもいつも足元ピカピカに磨き上げる革靴は何よりも彼の人格を語っている。そして、偉い地位にいても、驕った態度を取る事は絶対にない。私から見れば、ほぼ完璧に近い人物だった。ロイター退職後でも、ロジャーは、私が生涯もっとも尊敬する一人であり続けた。

 「Tachibana-San、ほぼゼロだった市場が9割のシェアになりました。厳しい仕事を一つ一つこなすには、能力だけでなく、忍耐力、精神力が必要でした。私も同じ中国で働く人間として、あなたが色々な苦難に耐えてきたことは手に取るように分かります。あなたは、見事に乗り越えました。私は、あなたをロイターの誇りとして思っています。私の心からの感謝を受け止めてください」

 シェクスピア劇のような台詞だった。私が女だったら、この男には間違いなく恋に落ちる。

 人間は、このような褒め言葉に弱い。「良くやった」、「偉い」というような直接な褒め言葉を使わない褒め方は、究極の技である。これは、後私がビジネススクールで部下の褒め方を勉強したときに同じことを学んだのだった。

 日本人は心で人を褒める民族でこのような露骨な褒め方をされると、いささか違和感をもつものの、雲の上にいるような心地よさを味わってしまうと病みつきになる。欧米人と結婚した日本人女性の友人も、同じようなことを言う。「ダーリンとか、スウィートハートとか、アイ・ラブ・ユーとか、毎日、毎日、甘い言葉をかけられるのに慣れると、日本人男性はいかに褒め下手だなと感じてしまいます」

 私が、人事コンサルタントになってから「褒め方」の研究を始めたのだが、ロイター時代のロジャーの褒め方を多数参考にしている。ときどき、思い切って露骨な褒め方をすると相手を驚かせて効果が絶大である。管理職としては特に海外ビジネスに携わると、いかに外国人の部下や同僚を褒めるかは大変重要な学問である。

 私を褒めたロジャーは、ある意図を持っていた。私が極めて嫌がっていた北京・華北市場を私に担当させようという意図だった。私は、ロジャーの話術に勝てるはずがない。北京ミーティングで、私の役職と担当範疇が変わった。

 ロイター中国の管轄は、中国大陸全土とモンゴル、北朝鮮に及ぶため、私がそのままこの広大な地域の日系市場総括担当マネージャーとなった。北朝鮮こそ日本企業がいないが、後日、私はモンゴルのウランバートルまで日系企業訪問の出張に出かけた。

 私からロジャーに唯一の要求を突きつけた―北京、上海、広州三拠点では、日系企業顧客市場に限って私がトップとして、指揮権をもつこと。ロジャーがそれを受け入れ、全国に指示を出し、ロイター中国のジャパニーズ・チームが結成した。

<次回>